賑わう日曜市〔6976〕2022/05/22
2022年5月22日(日)晴れ!
良いお天気。100周年に際しましては、皆様のご厚情、身に沁みました。本当にありがとうございました。
今朝は、早朝から会社へ行って、一人で100周年の残務処理などをのったりまったり。で、市街へ戻ってきてRUN。市街地10kmRUN。暑かったけど心地良かった〜。運動するには最高の季節ですね。だから高校生は県体やっている訳やね。納得の5月。
ここは日曜市。ご覧の通り、その人出は、コロナ前を彷彿とさせます。聞こえてくる言葉も、土佐弁ではないのが多いね。もちろん土佐弁も多いけど。
この右手が図書館オーテピア。僕が通った追手前小学校の跡地に立ちます。この日曜市の風景は、子供の頃から親しんできた風景やけど、昔はもっとずっと、地元の人々の買い物エリア、という感じやったと思います。生活に密着していたというか、生活の一部になっていたというか。
もちろん今も、地元の皆さんが買い物にやってくる場所であることは、間違いない。でもやはり観光的な要素が大きくなりましたよね。
だから、僕がここの追手前小学校に通っていた頃とは随分と違う、日曜市になりました。そりゃそうだ。半世紀経ちますきに。そうやって街は、変化していきます。
この追手筋が日曜市、というのは、あまりにも当たり前の風景やけど、太陽暦が採用されて曜日市が立てられるようになった明治期、日曜市は、現在の電車通りに立てられてました。本町ね。しかし電車が通ったことにより、病院街だった帯屋町へ移転。そして、日曜市の集客効果もあって、静かだった帯屋町は、商店街として発展していくことになりました。
そして戦後になり、帯屋町は商店街機能が確立。そこで日曜市は、現在の追手筋へと移動したのでした。
ウィキ見たら、面白い内容を発見。僕が生まれた1960年頃、日曜市廃止の運動が起こってたんだって。それは知らんかった。モータリゼーション社会の中で、道路を占有してしまうのはケシカラン、みたいな意見やったんでしょうかね。知らんけど。
廃止運動やった人、どんな人やったのか、見てみたい。そういう人はよさこいも廃止すべきと思ってたんでしょうかね。
ともあれ、今や、日曜市は高知市観光にとって無くてはならないものに、なりました。
そう言えば、ひろめ市場ができたときも、否定的な意見の人、おりましたねー。
面白いのは、日曜市も、ひろめ市場も、観光客誘致でできたものではない、ということ。地元の人々のためにできたものが、結果的に観光資源になる。これ、大事。
よさこいも、観光客誘致目的でやってた初期は、たいしたことなかった。ある時、自分たちが楽しむお祭りに変貌してから、結果的に観光資源となった。これ、大事。
日曜市の賑わい。このまま、地元民も観光客さんもたくさん訪れる楽しい日曜市に戻っていくことを期待しながら、暑い高知市を走ってきました。