南紺屋町で、ロングライフリープル〔6953〕2022/04/29
2022年4月29日(金)晴れ
今日は久々の東京。もちろん仕事です。昨日、FDAで名古屋へ飛び、夕刻の新幹線で移動して来ました。
銀座にある高知県のアンテナショップ、まるごと高知はご存知ですよね。もちろん弊社の製品も置いてあって、最近、この常温保存可能リープルも店頭に並べて頂いております。
東京近郊在住の方は、ぜひ、手に取ってみてください。できれば購入して飲んで頂くと、更にありがたいです。
このアンテナショップも、できてからしばらく経ちました。隣に沖縄のアンテナショップという強豪があるので、ついつい、比較してしまいますねー。いや、他意はないです。
で、今昔マップで明治期の地図を見てみました。銀座という場所は、明治の初期から洋風文化が花開き、それこそ「銀座」という名前で栄えた街。言うまでもありません。
が、明治期の地図を見ると、このアンテナショップがある場所には「南紺屋町」と書かれてます。そう。藩政期から、この界隈は紺屋町だったのでした。
その名称は藩政期初期からあって、どうやら、幕府御用の染物師の居住エリアとして整備された街、らしい。なので、紺屋町。「こうやちょう」と読むみたいね。
もちろん高知の紺屋町は「こんやまち」。紺屋は「こうや」と読むことが多いけど、全国の地名にある紺屋は、「こんや」と読む方が多いみたいです。でもここは、こうやちょう。
染物師が仕事する、となれば、水が無いといかんですよね。明治期の地図みても、この前の道路に「鍛冶橋」とか「八重洲橋」とか見えるので、ここを堀川が流れていたこと、わかります。高知の紺屋町も、もちろん堀川や新堀川が近くを流れており、染物師が仕事するのに適した場所だったことが、推察できます。
この東京の紺屋町が銀座に編入されたのは、関東大震災後の帝都復興計画の中でのこと。昭和5年。
そして今は、大銀座の一角を占める町となりました。
コロナの影響をかなり受けたと思われる銀座。
ゴールデンウィークが始まり、僕ら田舎者にとって凄まじい人の波に見える、銀座。いや、雨やというのに、どこもかしこもすごい人。これから突入するゴールデンウィークは、かなり賑わうんだろうと思います。コロナは気になるけど、そろそろねー。本当に、そろそろ。
弊社の常温保存可能ロングライフリープルの売れ行きも、絶好調で驚いてます。こういうお土産物商戦に本格参入したことなかったので、ビックリ。こういう人の動きが無かったら、影響、大きいだろうなということを、肌で実感できた、今年のGW。さあ、頑張って仕事仕事!