高知の城下のお花見は〔6927〕2022/04/03
2022年4月3日(日)晴れ!
このところ、風が強かったり曇ったりと、なんとなくホッコリせんようなお天気が続いてました。夜桜見物にはちと寒い感じ。今日の日曜日もなんとなく肌寒い。先週の日曜日は晴れて暑かったので、この日曜日も花見日和になって欲しいねー。
ここは今朝の堀川。こないだは鏡川大橋の側道から撮影したけど、今朝は大鋸屋橋から。高知でも有数のお花見の名所を撮影してきました。早朝なのでもちろん誰も居らず、静かな桜が恐ろしいほどに美しい。一昨日昨日と風が強かったので、こんな感じに散り始めてます。お花見するなら、今日だ。
ここがお花見名所になったのは、ここ何十年かのこと。高知のお花見名所って、結構変遷してます。僕らが子供の頃は、筆山も結構なお花見の名所でした。それが病気になって伐採されたのは、いつ頃だったでしょう。今も昔も高知城は、大勢のお花見客で賑わう名所。やけど、コロナになってからはどうなんでしょうかね。高知城は、お花見からそのまんまお街へと流れて行ける便利の良さもあって、いつも酔客で賑わいます。
でも高知城がお花見の名所になったのは、たぶん昭和になってから。なんせ、明治になるまではお城だった訳で、庶民が立ち入ることも不可能でしたから。
では、高知の城下の人たちは、どこでお花見してたんでしょうかね。これは調べてみる価値、ありそうです。日本人は古来桜が好きで、愛でてきた歴史を持ちます。
平安時代、在原業平が詠んだ
世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
はあまりにも有名やけど、鎌倉初期に西行法師が詠んだ
願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ
は、以前にも書いたように、僕の好きな和歌。
庶民が、今みたいに宴会してお花見を楽しむようになったのは、江戸時代になってからと言いますね。寛文の頃(1660年代)とのこと。江戸で、御殿山に吉野の桜が移植されたりしました。
江戸の、桜の名所と言えば。その御殿山、上野、飛鳥山、隅田川堤などなど。この時期になると老いも若きも武士も庶民も、みんな桜に吸い寄せられるように集まって宴会をする。これはもう、日本独特の「文化」「民俗」と言うてもいいと思います。外国にもこんな風習があるのかどうかは知らんけど、あんまし見たことない気がします。花の下に集まって、飲んで食べて歌って騒ぐという風景はね。
で、高知の城下では。外で宴会「おきゃく」をするのが大好きな土佐人が、お花見をせんかった訳がない。ではいったいどこが、お花見の名所だったのか。堀川でもなければ高知城でもなかったことは、間違いない。殿様の墓所がある筆山も、どうなんでしょうかね。
こんど、調べちょきます。今みたいな桜並木ではなくて、一点物の大きな山桜とかで花見してたのかも知れません。
さあ。日曜日やけど、今日は仕事。みなさんお花見楽しんでくださいねー。もう、散ってしまいますよー。
コロナにはお気を付けて。