未明、コロナの柳町〔6881〕2022/02/16
2022年2月16日(水)晴れ!
今朝、5時頃、車でここを通りました。柳町。この十字の場所から西向いて撮影したのが、この写真。右手に華珍園さんの本店。華珍園さんは、僕が子供の頃から、ここにあります。よく食べに来た記憶。
正面には図書館「オーテピア」。僕が通った追手前小学校跡地に立つ、立派な立派な図書館。
地理院地図の航空写真で最新のを見ても、まだ、追手前小学校があるではないか。2010年4月~5月撮影と書いてるから、2013年に閉校した追手前小学校が、まだ、写っている訳だ。12年前の写真が最新、てのも、まあ、地理院地図なので許してあげよう。衛星写真見たければ、Googleマップ見りゃあいい訳で。地理院地図には、もっと別の役割が、あります。土地の成り立ちとか、過去の写真とか、防災情報とかね。
柳町の話でした。
皆さんご承知の通り、「柳町」という町名は存在しません。通称なんですね。55番街みたいなもの。住所で言えば追手筋1丁目になったりするけど、この通りのことを説明するにはやはり「柳町」。昔、この通りに、銀座みたいに柳が植えられていたことから、柳町と呼ばれるようになった、らしい。真相は、知りません。でもそういうことみたいです。
今は、コロナで大変。高知県も「まん防」になっていて、営業しているお店も少なく、しかも酒類提供してないお店もあります。なんということ。この通りに賑わいが戻るのは、いつになるのか。
高知の飲み屋街、と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは「柳町」。追手筋でも、ましてや帯屋町でもありません。柳町。若い人たちもそうなんでしょうかね。それとも若者は「柳町」と呼ばんのか。今度、リサーチしちょきます。
この通りには、居酒屋やバーなどが、立ち並びます。近年ブティックみたいなのも増えてきたけど、やはり柳町と言えば食べたり飲んだりする場所のイメージが、強いですよね。
ところが。
柳町に柳が植えられる以前、この界隈は、病院地帯だったことをご存知の方はどれだけいらっしゃるでしょうか。市内随一の病院エリアが、この界隈だったのでした。藩政期の位の高い武家エリアが、その広大な屋敷地を利用した施設が並ぶ場所になった訳で、それは学校や病院だったのでした。
繁華街は、もっと東の種崎町や、京町、新京橋。その繁華街が徐々に西へと延びていくに連れ、病院は姿を消してゆき、高知随一の繁華街へと発展していったという、歴史。
その柳町に、賑わいが戻ってくる日を待ち侘びるコロナデイズ。
ああ。飲み歩きたい。
そんな日を待ち焦がれながら、今日も仕事を始めよう。お天気、最高にエイみたいやね。