中央構造線と吉野川と河岸段丘と断層と、市街地〔6826〕2021/12/23
2021年12月23日(木)晴れ
今日は、香川方面へ来てます。4時半に出社してひと仕事済ませ、国道32号線を走ってやって来ました。まだ時間が早いので、いつものように、高速を通らずに下道。冬の朝、四国山地、吉野川沿い。朝靄が幻想的な風景を醸し出しておりました。やっぱしエイねー、国道32号。
ここは阿波池田。昔は池田町やったけど、今は三好市というのか?
よう知らんので、ウィキで見てみると、平成の大合併で6町村が合併して三好市になったんだそう。東祖谷山村、西祖谷山村も三好市になった訳で、祖谷のかずら橋も、市域に存在することのなったのでした。奥物部が香美市になったのと一緒やね。
この池田という町は、とても不思議で楽しい地形の上にできた、町。
吉野川の東西の流れは、ご承知の通り、中央構造線の横ずれ断層によるもの。南の四国山地から流れ出てきた吉野川が断層によって東へと流れるようになった場所が、阿波池田。なので、吉野川が、少し複雑な地形を形成しているんですね。
今日は、池田の町を通る国道32号線ではなく、吉野川の北岸の道を通りました。その途中で撮影したのが、この写真。
この十字の辺りから、南岸の池田の町を撮影。正面左手に、池田の町が見えますよね。ところが。実は池田の町の中心部は、あそこではなくて、この右手の山の向こう側にあるのであります。今ここから見える町は、割合最近になってできた町。現在の航空写真がこれで、1960年代の航空写真が、これ。そう。1960年当時、あそこに町は存在せず、右手の、山の向こう側が大きな市街地になってます。
あそこに見える市街地の標高は、80m~90m。で、右手の山の向こうは110m。高さが全然違います。地理院地図の陰影起伏図で見たらこうで、地形分類で見たら、こう。そう。つまり、あそこに見える町は吉野川の氾濫平野にできた町で、右手の標高が高い市街地は、河岸段丘にできた町。その段丘上の市街地と、この吉野川の間が標高135mくらいの一段高い段丘になっているのは、断層のせいと想像できますね、地形分類図で。河岸段丘に、断層運動による段差ができた、と。
そう見てくると、こっから見える市街地は氾濫平野なので、昔から人が住んでこなかった場所、ということが類推できますな。
そしてこの地形分類を眺めていると、もうひとつ、気付いたことがあります。
たぶん、四国山地から北流してきた吉野川が、ここで東へ直角に流れを変える。その際、曲がることによって生じる蛇行によってできた氾濫平野が、あの市街地なのではなかろうか。
個人の妄想です。
たぶんネットとかで文献調べたら、真相はわかるでしょう。が、今は年末。忙しいのでそんな時間もなく、勝手に妄想して楽しんでいるのでした。
さあ。忙しい忙しい。仕事仕事!