水辺の空間、水辺の街、繁華街〔6818〕2021/12/15
2021年12月15日(水)晴れ!
良いお天気。写真は今朝、未明のはりまや橋交差点。土電ぢゃなくてとでん西武でもなくて、パチンコ屋さんの前から撮影しました。まだ、行き交う車も少ない未明のはりまや橋交差点。
昨日の高知新聞。高知新聞では「どうする?桂浜 現在過去未来」という特集をやってて、今はその第3部。未来の、これからの桂浜を考える構成になっておるのですが、その第5回に、不詳わたくしが登場しております。お読みになって頂けたでしょうか。以前、これからの桂浜についてあんな妄想やこんな妄想を書いたりしたのが、高知新聞の記者さんの目に止まったようで、こういうことになってしまいました。世の中、何が起こるかわからない。
で、その記事の中でも、僕は、浦戸湾の海上交通利用などの妄想語りを繰り広げておるのですが、まあまあの反響も頂きました。会社の方へ匿名で「大賛成だ」というお電話を頂戴したりもしました。みなさん、関心高いですねー。まずは、みんなで夢を語り合い、妄想を繰り広げ合うところから始めたらいいのではないかと思ってます。みんなでね。みんなで。
で、昨日、はりまや橋まで舟で行けたら良かったけどねー、という話も頂きました。当然っちゃあ当然の切り口。昔、このにっこりでも、僕の将来の夢は埋めてしまった堀川を再び川に戻してはりまや橋の下を舟でくぐる事、みたいなこと書いたこと、あります。そう。夢。僕の夢。僕は、宇宙飛行するよりも、はりまや橋の下を舟でくぐりたいのである。
この交差点の北側、電車通りには、結構立派な橋の欄干があります。その西側に小さく見えてるのが、観光客が写真撮ったりする赤いおもちゃの橋。僕は、あれはいかがなものかと思ってます。電車通りの東側、ペギー葉山さんの歌碑の東に、大正時代に実際に使われてた欄干があるけど、そちらの方がずっとずっと相応しいのにね。実際に架けられてた橋の、本物の欄干だから。なんで偽物橋を撮影スポットにするんだろうね。
それはともかく、水辺の空間。戦前から戦後にかけて、はりまや橋の下を川が流れていた時代には、その川縁が、高知で一番の繁華な街だった。種崎町とか京町とか新京橋とか。現在のはりまや橋商店街って、僕らにとっては「中種」。なんで「中種」と呼ぶのかは大人になるまで知らんかったけど。中種崎町だから中種ということを。
どの都市でも、江戸時代から栄えた繁華な町は、基本、水辺にあります。東京日本橋。大阪心斎橋。福岡中洲。高知ははりまや橋に、種崎町。
なんで水辺の空間を排除してしまったのか。一番大きな理由は、その川が昭和の公害によって汚すぎる川になってしまったから。臭いものに、蓋。
人間がしでかしたことの後始末で、現在のような水辺と離れてしまった高知の繁華街。静かな静かなこの風景を見ながら、水濠都市であった高知の城下に思いを馳せる、朝。