兆民先生、横尾忠則、田辺の自転車屋さん〔6771〕2021/10/29
2021年10月29日(金)晴れ
こないだ、高知新聞連載中の中江兆民先生のこと、少し書きました。「美しき座標 平民社を巡る人々」第4部「おかしな兆民先生」も、いよいよ大詰め。兆民先生が亡くなり、遺言どおり葬儀は行われず(無宗教の告別式は行われたが)、最後の見送りを受ける中でも、兆民先生の人柄が滲み出る、そんな描写でした。今で言えば、政権に物申す非常に影響力を持った野党の影の大物、といったところでしょうかね。ちょっと違うかも知れん。これだけ多くの人に影響を与え、警戒され、そして愛された人物ってのも、そうそうは居ないと思いました。
この連載の第3部は、田中正造の姿を描いた「とっちんの愛」という表題のものやったけど、田中正造さんにも中江兆民さんにも共通するのは、子供の様な純粋な心持ちでしょうか。野心というものが欠け落ちた人格。そして、純粋に、純粋に、思い、行動する。
今、総選挙の真っ最中やけども、明治の頃には、こういう政治家も居たということを、僕らは覚えておかんといかんね。あまりにも。あまりにも、だ。
今朝のこのページは実に面白い。
左手に連載中なのは、横尾忠則さんの自伝的文章「我流天睛」。ポップアートというジャンルの巨人。その才能って、すごい。とは言え、僕は作品はあまり知らなくて、表面的に「すごい」と言うてるだけやけど。でも、たぶん、すごいのである。以前、横尾忠則さんが生まれた兵庫県西脇市で、Y字路のことを書いたこと、あります。あの街にたくさんあるY字路をテーマにした作品を、横尾さんはたくさん制作してました。行くまで全然知らんかったけど。
なんで西脇にはY字路が多いのか。今から9年前は、そんなこと考えもせんかったけど、今なら考えます。Y字路にはY字路の理由があるから。
西脇にY字路が多い理由は簡単でした。こうやって地図を見てみたら、わかります。川と川が合流する三角地帯にできたのが、西脇の街。だから街全体がその三角形に規定されており、道も、その三角形にしたがって通ってます。必然的に、Y字路がたくさんできる、という訳だ。たぶん、そう。この地形が、巨匠横尾忠則にインスピレーションを与えたのであろう。知らんけど。
右下は、民俗写真家、故田辺寿男さんが、昭和30年代から50年代に撮影した、県内の様々な暮らし風景の写真展が、歴民で開催されている、という記事。田辺さんは、高知の民俗写真、民俗研究では忘れてはならない人物。と、知ったのは、土佐の歴史に関わり始めてから。そんなこと全然知らない少年だった僕は、田辺さんの自転車屋さんの前を毎日のように通って小学校へ通い、たまに自転車の修理をしてもらったりしてたのでした。あの、自転車屋のおんちゃんが、そんなすごいことをされてたとは、想像もしてなかった。
田辺さんが意欲的に撮影してた時期って、僕が自転車屋さんの前を通ったりしてた時期に重なるのに。気のいいおんちゃんで、たぶん、僕のことも覚えてたと思います。
そんな田辺さんの民俗写真は、とても貴重なもので、絶対に見ておかんといけません。
新聞の、こういうページは、実にいいね。勉強になるし、なにより気持ちが豊かになります。兆民先生みたいな人物にも、横尾忠則のような巨匠にも、田辺さんのような地道な研究者にもなれんけど、憧れは、できます。