大鋸屋橋、菜園場、高知県立中央病院〔677〕2005/02/21
2005年2月21日(月)快晴!
今朝の高知市内、久々にちくと冷え込みました。-1℃ですね。明日の朝は更に冷えて-3℃の予報。冬もまだまだ頑張っちょります。とは申しましても、街のあちこちに生える植物は、どんどんと春めいてきちょります。
さて、ここは、早朝の「大鋸屋橋(おがやばし)」。江戸時代に掘られた「堀川」に架かる橋ですな。橋の北詰から右折した堀川北岸は農人町(のうにんまち)。元々は、土佐藩が、農民を住まわせ耕作させたのが始まりですが、幕末には城下の物流の中心として栄えます。
住んだのは商人たち。幕末に、この大鋸屋橋ができて農人町と九反田の間が行き来出来るようになり、この界隈は益々発展しました。農人町の東は「下(しも)の新地」または「稲荷新地」と呼ばれ、料亭遊郭が立ち並ぶ高知有数の歓楽街に発展します。この「大鋸屋橋」と「木屋橋」「菜園場橋」「幡多倉橋」を併せて「四ツ橋」と呼ばれたのはついこないだ迄です。今、キチンと橋になっちゅうのはこの大鋸屋橋だけ。木屋橋は電車通りなのであんまし「橋」という感じではありませんし、後の2つはどこへ行ったんでしょうか。高知市文化施設かるぽーと前の広場となって、消えてしまったんでしょうか。
この橋を渡って北へ行き、電車通りを渡りますと「菜園場(さえんば)商店街」。菜園場の名前の由来は、山内の殿様の菜園所がここに在ったところからきちゅうがやそうです。菜園場商店街の北端を右折し、少し行くと高知県立中央病院があります。古い建物が鎮座しちょりますが、ここの営業はもう少しで終わります。今月中に、高知市池地区に完成した高知医療センターへ引っ越します。県立中央病院と高知市民病院が統合し、新しい医療を目指して新たにスタートします。どんなになるでしょうね。
余談ですが、新しい高知医療センターの給食で出される牛乳は、もちろんひまわり牛乳なんですね、これが。