いでゆ号の通った国道〔6753〕2021/10/11
2021年10月11日(月)薄曇り
月曜日。久々に、降ってます。高知県は2日連続してコロナ新規感染者ゼロ。このまま頑張って欲しい。心から、そう思います。
今日は仕事で、松山方面。こうやって、移動しての仕事も、少しづつ少しづつ。リモートではできんこともありますきんね。リモートでできることはリモートで、とは思ってます。たぶん、そういう社会が望ましい。そういう社会になれば、東京に一極集中する意味はなくなるしね。
このにっこりによく書くけど、政策を決めてる人たちはみんな東京界隈に住んでて、そこで暮らしながら考えてる訳で、それで地方が再生する訳は、ないと思う。中央で考える役人たちは、いつも、「知恵を出してきて頑張る地方には、お金出してやる」的なスタンスですもんね。これじゃあ世の中、動かない。
そうそう。あの、中央省庁の地方移転の話ってどうなったか知ってますか?
一極集中を打破する為に、中央省庁を地方へ移転しよう!という話。結局、消費者庁の徳島移転も先送りになり、全面移転が実現したのは、なんと、文化庁の京都移転だけ。これみても、官僚の本気度がよくわかります。つまり、ポーズだけね。こういう時こそ、「お得意の」政治主導を発揮してもらいたいのにね。
いや、今日書きたかったのはそんな話じゃない。国道33号線で松山へ行く話です。
まだ四国に高速道路がなかった頃、松山行きの国鉄バスは国道33号線を走りました。途中、トイレ休憩は2回。今の高速バスみたいにトイレ設備なんぞなかったし。僕も、たまに乗りました。
で、高知県側の休憩ポイントが、引地橋。5分くらい停まったでしょうかね。ちなみに愛媛県側は、久万。そして、あのバスは「なんごく号」。手元の1970年の時刻表によると、「なんごく号」は、1号から13号まであります。面白いのは、高知松山便も1号から13号まで、松山高知便も1号から13号まであること。13往復。つまり、なんごく1号は、高知松山便と松山高知便の両方に存在したのであります。この「なんごく号」が、現在のJR高速バスの「なんごくエクスプレス」につながってる訳だ。現在はJRの「なんごくエクスプレス」が5往復、私鉄の「ホエールエクスプレス」が5往復。
所要時間は、現在は、高知駅から大街道までは約2時間40分。1970年の「なんごく号」は、高知駅から大街道まで約3時間40分。
では、もう少し時代を遡ってみよう。1964年の時刻表。
その頃の国鉄バスは、高知から松山へ向かう特急が「いでゆ号」で、松山高知便特急が「くろしお号」だったのでした。知らんかったー。しかも、「くろしお号」は奇数号しかなく、「いでゆ号」は偶数号しかない。後の「なんごく号」のやり方とのあまりの違いに、愕然。どうでもいいですか?
それにしても、松山行きが「いでゆ号」、高知行きが「くろしお号」ってのは、なかなかいいっすね。
で、特急は、高知から松山まで、どこにも停まらない。ノンストップ。いや、たぶん、トイレ休憩はあったと思うけど。そうでなかったら大変だ。で、所要時間は3時間35分。なるほど。特急だ。特急が5往復。そして各駅停車は6往復で、「くろしお」とか「いでゆ」とかの名称はなくって、所要時間は5時間40分~50分。すごい。6時間近くかかってます。
当時の国道33号線は、二桁国道で幹線道路ではあったけども、今よりずっとクネクネの走りにくい道路でした。未舗装区間も結構あったんではなかろうか。そんな時代の国道33号線を体感できる場所を、今日は撮影してきました。以前にも一度ご紹介した、寺村トンネルを通らない仁淀川沿いの旧道。調べてみると、寺村トンネル開通は昭和41年。1966年。なので、1964年当時の「いでゆ号」「くろしお号」それに各駅停車のバスは、この写真の道を通っていたのでした。こんな道ばっかしなら、6時間近くかかってたのも、わかるね。
こんな道を、大型のバスやトラックが通っていた、そんな時代。