グラスヒュッテへ行ってみた〔6739〕2021/09/27
2021年9月27日(月)薄曇り
おはようございます。月曜日。
少し前にちょっと触れたけど、全然興味なかったのについつい買ってしまった本があります。山田五郎さんが書き上げた「機械式時計大全」。いや、僕が知らんかった、すごい世界が、そこにありました。なんとなく時計の趣味って、宝石の趣味と同じで、僕とは縁遠いものと感じて過ごして60年。でもこの本読むと、人々の不屈の営みであったり、凄まじい努力であったり、とてつもない繊細な技術の開発と継承であったりと、企業経営にとって重要な示唆が、富んで溢れている世界であることがわかって、少し感動したのでした。それにしても、経営の話は置いといても、機械好きにとっては堪らんね、これは。
こないだも書いたように、1969年にセイコーがクオーツ時計「セイコーアストロン」を発売してから、スイスを中心とした機械式時計産業が壊滅的打撃を受ける。しかし1980年代後半からどんどんと復活し、そして今や、世界的な機械式時計ブームの中で、成長を遂げている。んだそう。知らんかったけど。
スイスがその中心であるのは言うまでもないけど、ドイツも、なかなかのもの。特に旧東ドイツ、ドレスデンの南に所在する「グラスヒュッテ」は、世界的な機械式時計メーカーがたくさん。ここの歴史は面白いねー。
そもそも、地図で見てもわかるように、山に囲まれた田舎町、グラスヒュッテ。かつて鉱山で栄えたけども廃鉱になり、寂れていたこの街を、時計作りで復興させようと考えたのが、時計師のF.A.ランゲさん。1845年、その町おこし計画が政府に認められ、助成金を受けてグラスヒュッテに入植したのでした。そして19世紀末には、一大時計生産地として名を知られるようになった、グラスヒュッテ。もちろん中心を成すのは、ランゲさん創業の「A.ランゲ&ゾーネ」。
ところが第二次世界大戦が終わり、東ドイツの管理下に置かれることになったグラスヒュッテの企業群。ドイツ国営公社に管理統合されてしまった訳だ。
1990年にベルリンの壁が崩れ、西ドイツに亡命していた4代目ランゲさんが、資本の協力を得ながら「A.ランゲ&ゾーネ」の商標を再登録、1994年に、コレクションを発表。その中に、今も絶大な人気を誇る「ランゲ1」があったのでした。グラスヒュッテには、「A.ランゲ&ゾーネ」だけではなく、「グラスヒュッテ・オリジナル」など、たくさんのブランドが「グラスヒュッテ」を誇りにして時計製造を続けております。
左手の向こう側に見えるのが「A.ランゲ&ゾーネ」。その左に、「グラスヒュッテ・オリジナル」。右手には「ノモス」も見えてますねー。
それぞれ、リシュモングループ傘下であったりスウォッチグループ傘下であったり独立系であったりするけど、系列は違えども、その土地の歴史を誇りに、個性をもった時計作りをしている、ということで、巨大資本と地域のものづくり、技術、ブランドの関係性が、よくわかる。
旧東ドイツと言えば、メルケルさん。色んな評価はあるけど、後世、偉大な政治家として評価される女性ではあるでしょうね。東独出身の物理学者やけども、その演説には知性がほとばしる。やはり、知性って大事やと思いました。
東独というと、なんか暗い独裁国家のイメージがありますが、グラスヒュッテ再興の陰には、スイスや西側諸国にない、東独の個性的な技術や精神が、現在の時計作りにつながっている、と山田五郎さんは書いてます。現在のドイツのありようも、東独の個性が大きな影響を与えているように見えて、興味深いですね。
いや、機械式腕時計の話です。
もちろん僕には縁の遠い世界の話ですが、その技術とか、歴史とかは、かなり興味深いもの。世の中知らないことだらけ。
最後に、機械式時計づくりを代表するパテックフィリップ社の、「グランドマスターチャイム」という時計をつくる動画をリンクしちょきます。
ちなみにこの時計、調べてみると、宝石散りばめてる訳でもないのに約3億円だって。府中の白バイもビックリ。