稲生の夜明け〔6737〕2021/09/25
2021年9月25日(土)晴れ!
今朝は、少し遅めに出勤。で、稲生を通ってみました。久々の稲生。
以前にも書いたことありますが、稲生という由緒ありげな地名は、実は明治になってから付けられた地名なんですね。明治9年に下田村と衣笠村が合併した際、「稲のよく生える村を意味する村名を意図し、旧衣笠村の氏神稲荷神社の霊験にもあやかって名付けた」というと、角川書店「高知県地名大辞典」に書いてます。
で、鉢伏山の北麓には、石灰関連の工場や施設が立ち並び、独特の風情を見せておりますね。今は、もう、石灰の採掘はやってません。僕らが子供の頃、この北麓の道はもっとずっと真っ白かったイメージがあります。稲生と言えば、石灰。
今朝は、昔ながらの石灰の稲生、といった風情を感じられる場所を撮影してきました。旧下田村。入交石灰さんの工場から昇る朝日を眺めつつ。
右手の建物。以前は、石灰関係の、何かの施設だったと思われる建物は、今は使われてないような感じ。ご覧のように、土台には石灰岩の石積み。
幾度も幾度も書いてきたように、ここは秩父累帯南帯、三宝山層の石灰鉱床が走っていて、江戸時代から良質の石灰を産出し、ここで焼かれて建築資材や農業用に使われてきたのでした。
石灰採掘の始まりは、江戸中期、享保14年といいます。1729年。
稲生の石灰があったから、この近くで2期作を始めることが可能になったという考察を、以前にもやったことありますね。土佐の産業の土台部分を担ってくれた歴史をもつ、稲生。
地理院地図で見ると、こう。この十字の場所から撮影してます。航空写真で、こう。1970年代の航空写真はこうで、たぶん、稲生石灰の採掘が最盛期を迎えてた時代でしょう。1960年代の航空写真見ると、まだ、鉢伏山北麓は、山の形状を残していますね。随分と風景も、違います。石灰岩の採掘は平成10年で終了してるので、これ以上山の風景が変わることは、ないでしょう。
採掘が中止された理由は、知りません。ただ、平成4年頃から採掘現場に水が出始めたのが、影響したのかも知れません。違うかも知れんけど。で、2009年8月には、その水がエメラルドグリーンの池をつくっている風景を撮影してます。なんか、神秘的で美しい風景。現在は、あの池も埋まってしまい、姿を消しました。ここにあんなに大きな池があったとは、今となっては想像もできません。
昨日、河口湖町の赤池のこと書きました。数年に一度出現する、幻の池。しかし、ここに20年間くらい存在した池は、もう、出現することのない、真の幻の池。あの時、撮影しておいて良かった。今となっては貴重なアーカイブ。
ここ稲生には、昔建てられたモダンな建物も多くて、古くからの隆盛を今に伝えてくれます。石灰は、高知にとって重要な基幹産業でした。時代はかわり、採掘はされなくなった今も、それぞれの石灰会社さんが、それぞれ独特の技術を活かして、世界を舞台に活躍しております。