台風前の物部川と今昔マップ〔6729〕2021/09/17
2021年9月17日(金)雨
台風の関係やろね。雨、降ってます。もう雨いらんのにね。台風も、要りません。
一昨日、「北金田」「南金田」のこと書きました。「きたかなだ」「みなみかなだ」と読むという話ね。で、考えるに、元々その地域に住んでた住人が少なかったから、今は「きたかねだ」「みなみかねだ」と呼ばれる始末になってるんだと、気付きました。昭和35年の時点で、「南金田」に13世帯住んでただけだもの。「北金田」は0世帯だし。だから、「金田」を「かねだ」と皆んなが呼び始めても、「それは違う、かなだが正しい。」と目を剥いて反論する人が圧倒的に少なかった。だから、いつの間にか「かねだ」が優勢になってしまい、今に至っているという歴史だ。知らんけど。
例えば潮江「新田」。これって、普通に読めば「にった」か「しんでん」になるのに、正しい読み方は「しんた」。なかなか「しんた」と読むのは難しいと思うのにね。でも、潮江新田を「うしおえしんた」と皆んなが呼ぶのは、新田に住んでた人が元々多く、しかも「にった」ぢゃない「しんた」ぢゃ、とちゃんと主張した人が多かったからだと拝察する訳です。新田のおんちゃんは、主張すべきは主張するのである(昔も今も)。もし新田に、「しんた」と強く主張する人が多くなかったら、今頃は「にった」とか「しんでん」とか呼ばれていたのではないかと思ったりする訳やけど、どうでもいいですか?
台風も近づいてることだし、この話題はこれっぱあにしちょきまして、今日は物部川橋。
南国市から野市へ、物部川を渡る旧国道の橋。物部川橋。以前書いたように、明治期にはそこに橋は無くて、渡し舟がありました。それをスマホアプリの「古地図散歩」で見たら今朝の写真のようになる訳やけど、パソコンで、ウェブで見ることはできんのか?と思って調べてみたら、あった。ありました。今昔マップon the webというページが、ありました。
そのwebで見たのが、これ。明治末期の古地図と、現在の地理院地図が並べて表示してあります。これ、色んな年代の地図と、地理院地図の様々な種類の表示を並べることができるようになってる、秀逸なもの。いやー、知らんかった。便利やね。世の中、知らないことだらけ。
で、こうやって見てみると、ここに渡し舟があったこと、わかります。明治期の流路は、細めの一本流路。現在は、それこそここが堰のようになってて、上流側は堰き止められたように広い川幅になっているのであります。明治期は、左右から河原が広がってきてて、狭い流路を渡し舟が運行していたのでした。
昨日も書いたように、この100年で、随分と流路、流れ方が変わった、物部川。
今昔マップ、パソコンで見ると、古地図の方でカーソルを持って行ったら、地理院地図の方の同じ場所に「丸」が表示されて、昔の場所が今のどこか、わかるようになってる秀逸さ。すごいね、まったく。
昨夜から雨が降ってて、物部の流れもこれから激しくなってくると思われます。この地図の時代だったら、もう川止めでしょうね。立派な橋が架かって便利になったけど、スマホアプリや地理院地図は便利になったけど、自然環境は激しくなるばかり。
台風の被害がないことを、祈ります。