須崎、洲崎、文化の香り〔6723〕2021/09/11
2021年9月11日(土)薄曇り
今日は土曜日。久々に、須崎の先輩、斧山さんがオープンした本屋さん「書肆 織平庵」に行ってました。僕にとって、とても魅力的な本が多い、小さいけど素敵な本屋さん。
ブックカフェ、ブックバーにもなる本屋さんで、今の高知市とは違って、昼間っから酒類も提供できる須崎市なので、いいねー。
このお店の住所は須崎市鍛治町。須崎には、戦国期、堺の商人も居を構えたことがわかってて、港湾都市として栄えてました。鍛治町という名称も、そういう職人需要があった都市であったことを伝えてくれます。
で、この鍛冶町を含む須崎市の市街地は、元々は入海だったのでした。そこに、新庄川が運んでくる土砂が堆積して洲になり、人が居住するようになって洲崎と呼ばれ、須崎になった、ということらしいですね。
いや、須崎には詳しくないけど、平凡社「高知県の地名」に書いてます。
鍛冶町の北側に、城山。土佐戦国七雄に名を連ねる津野氏は、長宗我部元親の子、親忠くんが津野氏の養子になってから、本拠を葉山の姫野々から、この北の山に移したのでした。だから城山。その城山には峰が3つあり、それぞれ「鰯沼城」「犬戻城」「鳥越城」と呼ばれた城跡があるとのこと。鰯と犬と鳥。これは、一度、行ってみなくっちゃと思ってます。なんで魚と犬と鳥なのか。
で。
その南麓には有力家臣の屋敷が並んでいたといいます。
今、こんな感じで整備された大きな道路ができたけども、ここより東が本庄で、西が新庄ということにかありません。で、東は有力商工業者の町屋、西は無姓の町屋、南の海沿いには漁民が住んだという、須崎。
元々入海であった、ということで、その痕跡が、西側の池に残ってますね。その池は、この川端シンボルロードというコウベッた名前の道を流れる川で、海と繋がってます。そう。川端というくらいあって、1960年代の航空写真を見ると、ここを川が流れてるのがハッキリと見て取れるのであります。
この本屋さんを経営する斧山さんの家は、川端のしゅっと北側。
で、斧山さんが10年前から5年程前まで書いてたブログのタイトルが「オジイ川端の浅い人生」でした。全共闘世代をリアルタイムで体感していた斧山さんの文章は秀逸で、とても面白かった。しばらく書いてなかったけど、ぜひぜひ再開して欲しいという要望を出し続けておりましたところ、遂に、この度再開したのでした。「オジイ川端の浅い人生」。いやー、嬉しい。これからの展開に、ワクワクしてます。ありがとう、斧山さん。
この須崎、洲崎を長く支配した津野氏には、文化を大切にする伝統がありました。室町幕府が成立した頃に、五山文学の双璧と謳われた絶海中津、義堂周信を輩出したのも、津野一族。
将軍足利義教の時代、義教の宴席で詩を披露して京洛に名を轟かせたのは、当時の津野家当主、津野之高でした。
そういう文化的な空気が流れる須崎に、こういう本屋さんができたのは、歴史の必然だったのか。文化的やけど、ちょっとサブカルチャーに偏ったりはしてるけど。偏ろうが偏るまいが、カルチャーはカルチャーなのである。今日も、良い時間を過ごさせて頂いたのでした。