「駅伝」の由来〔670〕2005/02/14
2005年2月14日(月)快晴!お見事!
あしずり駅伝から一夜明けた今朝は、高知へモンて来ちょります。見事な快晴。キリリと引き締まった爽やかな朝になりました。駅伝のプレッシャーから解放されたひまわり太郎は、今朝はお気楽に鏡川沿い。穏やかな気分でたつくって来ました。
それにしても駅伝というのは面白いですね。日本人が発明したモノの中でもかなり秀逸な競技でしょう。昨日の大会の開会式で、大会役員の方がお話しよりましたが、大正時代、東京遷都50年を記念して、とある大新聞社が何か記念事業をしよう、と考え、京都から東京日本橋までの駅をタスキでつなぐことを企画したのが、その始まりらしいです。
2日間で走破する予定が、日が暮れて箱根の山中に迷い込んだりと大変な苦労があって、結局4日かかったんだそうですね。わらじ履きに文字通りタスキ掛けで走ったらしいです。で、記念事業で終わらすのはしのびないということで、東京の大学生などが中心となってその志を引き継ぎ、箱根駅伝へとつながっていったがですね。成る程。やはり箱根は駅伝の「聖地」ですな。
さて、ここは鏡川、天神大橋と潮江橋の間の北岸。向こうに見えるのは潮江橋。高知で一番高い建物「トップワン四国」がその向こうに建っちょります。左側の川岸には、観光ホテルやマンションが立ち並んじょります。川縁りで、とても景色の良いところだからですね。そのホテルの一つから、「佛教大学」と背中に書かれたジャージを着た20数名の若者達が飛び出して来て、河原の広場で柔軟体操を始めました。早朝から元気で気持ちえいですね。試合かなにかで高知へ来たのでしょうか。
今、高知はオリックスなどのプロ野球キャンプ、Jリーグのキャンプ、社会人野球のキャンプなど、賑やかな季節を迎えちょります。こんな素晴らしいお天気が続くとえいですね。