貴船の森と、お神母さん〔6699〕2021/08/18
2021年8月18日(水)雨
雨が降ります雨が降る。
嘗て、こんな8月があったでしょうか。異常気象は続きます。たぶん僕らのせいで。
今日は所用で種崎へきてます。こないだ、土地の成り立ちのこと書いた、種崎。この半島は砂嘴で、西から流れてきた海流が、浦戸桂浜の半島を回り込んできて堆積したもの。天橋立などと同じ成り立ちね。砂嘴なので平坦で、津波には脆弱な種崎半島。今は、避難タワーがたくさん建てられてます。
幾度か書いてきたけども、1707年、宝永四年の南海地震津波の報告書「谷陵記」では、その津波で「亡所」になったとされてます。記録では704人が溺死した、とされますね。でも、1854年の安政地震や昭和の南海地震では、津波で宝永ほどの被害があったとは、聞きません。やはり、宝永は大きかった。そして次の南海地震も、宝永級以上を想定しての対策が必須。
「南路誌」によりますれば、藩政期、種崎村に存した寺社は次の通り。
神母(いげ)、桑野明神、不動田ノ神、浦恵美須、観音堂、道心庵、正行寺、頂本寺。このうち、神母社は、宝永の巨大津波でも残ったとされてます。
藩政期後期に描かれた「浦戸湾風景」という絵図を見ると、種崎半島の先っぽに「貴舩神社」とあります。現在の貴船神社。ところが「南路誌」には貴舩神社の名前は、ない。
そして現在の種崎の地図に、お神母さまは、ない。
では、宝永津波でも流されなかった神母社は、どこなのか。
そうそう。神母と書いて「いげ」と読み、高知にはたくさん存在する「おいげさん」やけど、これはどうやら高知だけらしい。他県でのお稲荷さんのような役割を、土佐ではお神母さんに期待していたのであります。Googleマップで、種崎に一番近い神母神社を探すと、ここ。十市だ。まあ、あそこだと津波に流されないでしょうが、南路誌に言う神母様は、種崎村というくらいなので、たぶんこの半島にあったのではないか。
種崎半島を「亡所」にした津波でも流されなかった「神母」様は、いったいどこに鎮座しておったのか。ひょっとしたらこの貴船神社が、そうなのか、などと考えてしまうけど、違うかも知れません。なんせ、貴船さんは水の神様で、お神母さんは豊穣の神様ですき。この界隈では「三里史談会」が活躍してますので、今度、尋ねてみなくっちゃ。
流されなかったお宮さんがどこにあったのか、は、来るべき南海地震津波対策にとっても、大切な情報。
この貴船の森には、大きな大きなクスノキが屹立してます。写真左手。かなり、大きい。このクスノキの樹齢が320年を超えてたら、宝永の地震津波でも倒れなかったクスノキということに、なります。そしてもしここが神母社だとしたら、このクスノキは、お神母さんとともに、ここで津波に耐えたのかも、知れません。いや、ただの妄想です。