生コン事件の場所〔6698〕2021/08/17
2021年8月17日(火)雨
今朝の高知新聞。見開きで、こんな特集やってました。
「高知生コン事件 未掲載写真でたどる」
昭和46年6月9日に起きた「高知パルプ生コン事件」で、高知新聞のカメラマンが撮影した未発表の写真が確認され、こうやって掲載されているのでした。この事件に関しては、にっこりひまわりでも幾度か取り上げ、その中心となった山崎圭次さんの凄さ、素晴らしさについても、幾度も書いてきたので、皆さんご承知のことと思います。
当時僕は小学生。この事件の意味とか全然わかってなかったけど、なんとなく市民が喝采してたのは、覚えてます。
この写真は、生コン投入から1時間半近く経過した朝6時前に撮影を始めたものだそう。山崎さんたちは、実に用意周到に準備を重ね、一般市民にできるだけ迷惑がかからないように工夫を凝らしながら、高知パルプの垂れ流す廃液のマンホールに生コンを流し込んだことが、紹介されてます。
手前の、電車通りに立つワイシャツ姿の男性が、高知パルプの社長なんだそう。このシレっとした表情がなかなか印象的やねー。
上の写真に写っている「レストラン旭」で、この事件が起きた場所が特定できます。レストラン旭さんは、今も同じ場所で営業しておられるので。
ここだ。思ってたより、結構東なんですね。ソーレの東。高知パルプがあったのは現在のイオンの場所なので、結構東へ離れてます。
つまり山崎さんたちは、綿密に調査し、どこをどうしたら市民に迷惑をかけず、効果的に事件を起こせるのか計画していた訳だ。
この記事にあります。
「マンホールは路上に二つ並んでいた。裁判記録によると【守る会】はまず西側の穴に砂利を詰めた麻袋20ほどを落とし込んだ。次に東側の穴に、麻袋四つほどを投入。それから同じ順番でほぼ等量の生コン約3立方メートルを流し込んだ。すべてが計算ずく。そうでなければ、工場職員らの手作業による復旧は、不可能だったかも知れない。」
世論などを意識し、最大限の効果を狙ってピンポイントで起こした事件だったこと、わかります。科学者である山崎さんの面目躍如やね。
あの酷い江ノ口川の状況から、何度陳情しても取り合わなかった工場と、行政。そんな時代に風穴を開けた、画期的な事件でした。
今のひとたちは、ピンとこんでしょうねー。あの頃の江ノ口川を知らんから。西日本一汚い川と言われた江ノ口川。そんな歴史があり、こんな人たちが居たことを、僕らは忘れてはならんと思います。
高知新聞の仁ちゃん、Good Job!