40年前の台湾〔6697〕2021/08/16
2021年8月16日(月)曇り
コロナと大雨は続く。なかなか遠くへ出かけるのも難しい状況が続きます。
そこで。
こんな状況だからこそ、ネットを活用していろんなところへ行ってみよう。今はストリートビューもあるし、地理院地図もあるので、ネット空間の中で世界中へ出かけられるし、地質も楽しめるのであります。
さて。まずはどこにしようか、と考えて、学生時代に高校の同級生M君と行った台湾にしてみました。1980年頃の、台湾。もちろん、まだ高層ビル群もなかった台湾で、僕らのイメージとしては、1960年代の日本、という感じでした。バイクや自転車が溢れ、ものすごい活気。
まだまだ道路もインフラも整備途上で、途上国感満載だった、台湾。あれからの発展は、すごいですね。あれから行ってないけど。
もう40年も前の話になるのか。つまり、僕らは、今の台湾の若い子達が知らない台湾を知っている、ということになります。
飛行機で台北に着いたのは夜中。翌日、汽車に乗って台中へ行き、自転車修理屋さんで中古自転車を購入して、南へ南へと走ったのでした。途中、民家に泊めてもらったのは2回。そのうち一回は、戦後始めてその村を訪れた日本人ということで、たくさんの村人に囲まれてすごかった。隣村に住む、日本語がしゃべれるおじさんを、誰かがバイクで連れてきたので、いろんな話ができました。
まだ、そんな時代だった。
中国との戦争は続いている、という建前で、海岸線の撮影は禁止。軍事施設があるのか、立ち入りができないエリアも結構あった、当時の台湾。自転車でまわり、行き当たりばったりの宿探しと、食事。食事は、どんな小さな町にも必ずあった屋台で、いろんなもの食べたねー。40年前の話か。
で、いろんな事件がありました。やはり知本温泉プール全裸入浴事件が、印象に残ってます。こんな事件。
その後、太魯閣渓谷の文山温泉というところへ行った際は、もう学習してたので海パンで入浴。やけど、怖かった。あの時は雨の後で、渓流がかなり増水。増水した川縁のツルツル滑る岩を歩いて、川縁の湯船へ。滑って落ちたら、死にます。
今調べてみたら、あの後安全設備は充実されたけど、2005年に土砂崩れ事故があって閉鎖されたんだそう。2011年から規模縮小で再開なんだって。
あの、野趣あふれる怖い怖い文山温泉は、もうありません。この渓谷の、増水した川縁の、抉れた場所に湧いてた温泉。
そうそう。どこの街にもあった屋台街やけど、台北の屋台街は円環屋台。たくさんの屋台が並んで、たぶん台湾でも有数の屋台街だった、円環屋台。
今どうなってるのか調べてみたら、今はもう、ない。とうの昔に無くなってました。ウィキによると、台北の中心が他所へ移り、2度の火災で荒廃、2000年代に入って再興しようという試みが行われたけども失敗したんだそう。その後、また再開発のとり組みがあったものの、頓挫して、今は公園。
公園か。ストリートビューで見たら、こう。ここに、台湾随一の屋台街があった面影も、ありません。
自転車での旅を終え、台北の故宮博物院を堪能した後、台湾最後の夜はここで過ごしたと記憶します。何食べたか覚えてないけど、ごちゃごちゃして猥雑で、いい屋台村でした。2000年代に入ってからの再開発の建物はこんな感じ。やはり、あのごちゃごちゃした猥雑さが再現できんかったのは敗因でしょうかねー。知らんけど。
コロナ禍中。どこにも行けないご時世なので、かつて僕が行ったことのある場所を、ネットで再訪してみようと思ってます。それにしても台湾へ行ったのって、もう、40年も前になるのか。いや、驚いた。ついこないだやったのに。