鉄道の痕跡、大雨〔6695〕2021/08/14
2021年8月14日(土)雨
よく降ります。降り過ぎ。トランプがどう言おうが、ネトウヨが騒ごうが、人類が地球環境を劇的に破壊しているのは、間違いないと思う。
会社の裏手の物部川も、かなり増水して濁流が流れてます。
物部川は、漁協さんが頑張って、鮎の産卵場を整備したりしてとても良い川になってるんですが、大雨に弱い。これは以前にも書いたけども、上流のダムに大量の土砂が溜まったりしてるのが原因で、上流域に大雨が降ると、その濁りがなかなか消えない川になってしまってます。ダム湖に堆積した土砂って、どうするんでしょうかね。
そもそもダムって、造り替える時はどうするんだろうね。築後何年で造り替えるのか気になるけど、造り替えるんなら、土砂も取り除けるし、土砂が堆積せんようなものができるといいと思いました。三嶺とかにシカが増えて、緑が減ったことが流れる土砂が増えた原因とか言われたりするけど、よくわかってません。
ことほど左様に、自然のことってまだまだまだまだ解ってないこと、多いのであります。
自然をコントロールしようという試みが大規模に行われだしたのは、産業革命以降であり、日本では明治以降のこと。そして土木インフラ、交通インフラが劇的に変わってきたのも、明治以降のこと。ほんの、100年のことです。
明治期の、この界隈の地図を見ると、ここには渡し船。物部川中流域から下流域は、渡し船を使わないと渡れない。ほんのこないだまで、そうだったのでした。
自動車もないので、どこへ行くにも徒歩。人力車とか大八車ができても、日本の場合は基本、徒歩。それは、河川が多くて湿地帯も多くて、一番徒歩が便利だったからと言われてます。
そんな日本に、劇的な変化を与えた交通インフラが、鉄道。鉄道革命の衝撃は、新幹線ができたとかリニアがどうしたとか、そんなレベルのものではない大きな衝撃だったと想像できます。
明治5年に新橋横浜間が開通したと思ったら、その17年後には新橋から神戸まで鉄道ができてるから、いかに強烈なインフラだったのか、わかります。何日も何日もかかってたのが、1日で行けてしまう衝撃。
ここは、会社の北。かつてここを、土電安芸線が走ってました。その痕跡の、鉄橋跡が、廃線になって半世紀が経過しても、このように残ってます。左端に、小さく、弊社の看板が写ってるに、わかります?
高知鉄道の後免と手結の間が開通したのは大正13年(1924年)。まもなく100年。それまでは、歩いて歩いて遠くへでかけてました。もしくは、船で。
ここに鉄道が走ったときは、衝撃だったでしょうね。
そういう社会の激変をもたらした交通インフラも、産業革命あったればこそ。
ところが、その産業革命以降、人類は地球環境に自分たちで気付かないうちに大きなダメージを与え、そして後戻りのできないところまでやってきたのでした。
国家や企業の自由に任せてると、間違いなく、人類は破滅へ向かってゆく。この連年の大雨は、そんなことを僕らに教えてくれる、警鐘。