新幹線開業直前の時刻表〔6692〕2021/08/11
2021年8月11日(水)晴れ
本当ならよさこいの、8月11日。高知は今日も静かです。こんな8月11日になるとは、コロナ前には想像もできんかったこと。世の中、一寸先のことはわかりません。
昨日、国道九四フェリーで四国へ渡ってから、国道197号線をひたすら走って帰ってきました。順調に車を走らせていると、葉山と須崎の間で、なんかおかしい。パンクだ。路肩に車停めて、降りて見てみたら、右前輪が完全にパンクしてぺっちゃんこ。ああ。
まだ暑い時間、汗かきながらスペアタイヤに交換し、ゴトゴトと帰ってきました。ああ。世の中、一寸先のことはわかりません。
昨日、今はもうない交通インフラのことなど、書きました。そう言えば。こないだ、時刻表の復刻版を買うたこと思い出しました。それも、1964年9月号。つまり、東京オリンピックが開催される前月。つまり、東海道新幹線が開業する直前の、時刻表。僕はまだ3歳で、記憶にもあろうはずがない時期の時刻表の復刻版。その頃、土讃線から本州へ向かうのは、どんな感じだったのか、早速見てみました。
もちろん、本州へ渡るのは、今はもうない、宇高連絡船だ。
高知から高松までは、急行「浦戸」か急行「黒潮」。準急の「足摺」「南風」もありました。急行「浦戸」で、高知から高松までが2時間45分。結構速いね。停車駅は、高知、土佐山田、阿波池田、琴平、多度津、高松。すごい。今の特急「南風」よりもずっと少ない停車駅だった急行「浦戸」。
高知を14:40に出発した「浦戸」が高松に着くのが17:25。高松発17:42の連絡船に乗ると、宇野着が18:47で、19:11発の特急「うずしお」に乗れば大阪に22:00着。これが国鉄最速の、高知大阪でした。
ところで特急「うずしお」。宇野発大阪行きで、この復刻時刻表見ると、全席指定、食堂車、ビュッフェに展望車ときたもんだ。宇野から大阪の2時間49分という短い旅なのに、なんという充実ぶり。ちなみに一日に一便、特急「第2富士」という東京行きの特急がありますね。これも全席指定、食堂車、ビュッフェに展望車ときたもんだ。
東京行き特急は、寝台特急「瀬戸」もあります。もちろん食堂車付き。
この時刻表見るだけでも、なんか、旅情が掻き立てられてしまいますな。
「瀬戸」は、今、「サンライズ瀬戸」となって「サンライズ出雲」とともにJRに唯一残る寝台特急になってしまいました。でも、残念なことに食堂車はついていない。責任者、出てこい!
四国島内の汽車には、食堂車がなかったので、食堂車には特別の憧れがありました。なので、大人になって新幹線利用するようになると、よく使ってましたねー、食堂車。新幹線の食堂車、今はもう、ない。
普通の特急や急行に、食堂車。今はもう、ない。
以前も書いたけど、僕は、JR各社が運行している豪華な企画列車には興味ありません。なぜなら、汽車というのは「移動手段」だから。その移動している最中に、食堂車などの旅情を楽しむものであります。企画列車なるものは、僕に言わせれば「本末転倒」なのである。どうでもいいですか?
これからの交通インフラを考えるに際し、そんな視点が重要なんではないかと思う日々。例えばリニア中央新幹線。これについては、地学的見地から言いたいこと山ほどあるけど、それはまた別の機会にして、トンネルばかりのリニアで旅情を掻き立てられるとは思えません。だからリニア使う人には使わせとこう。僕はリニアは使わない。で、東海道新幹線には、リニアとの差別化を図るために、食堂車を復活してもらいたい。東海道を満喫できる、旅情たっぷりの東海道新幹線。そうなったら、僕は東海道新幹線を、使います。
この時刻表の時代、新幹線は夢の超特急でした。未来の乗り物。夢の乗り物。スピード時代の寵児。
それから幾星霜。リニアの時代を迎えるにあたり、新幹線にこんな旅情を求めるようになってしまった。そんなことになるとは、この時刻表の時代には想像もできんかったでしょう。世の中、一寸先のことはわかりません。