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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

夏空の下の瓜尻遺跡〔6689〕2021/08/08

夏空の下の瓜尻遺跡

2021年8月8日(日)晴れ!

今朝は、自転車で会社へ。ひと仕事済ませてから、そのまんま東へ。東へ東へ自転車を漕ぎました。今日は、安芸で、10:30より瓜尻遺跡の現地説明会があるとのことだったので、行かん訳には参らんのでした。こないだ一度ご紹介した瓜尻遺跡。7世紀後半からの遺跡で、官衙があったと思われる重要遺跡なんですね。安芸市の統合中学校が建てられる場所で、その遺跡がどうなることかと心配されてました。学校の設計変更などで、ある程度遺跡も保存されることにはなったみたいやけどね。ちょっとはね。

 

で、まず、ここへ来る前に気付いたこと、書いておきます。条里のこと。昨日、清掃活動しながら、香長条里のこと書きました。律令時代に整備された香長条里。班田収授で、税を計算しやすいように区画された条里は、律令時代、全国で整備されたもの。そして、香長条里に沿って官道が走ってます。これも、律令時代、全国的に見られる特徴。

そんな訳で、安芸に官衙の趾が出てきたということは、条里も整備されてるはずだと思い、地理院地図を見てみたんですね。予想通り、ちゃんとありました。条里。で、その角度が、なんか見たことあるような角度なのであります。そこで香長条里の地図と重ねてみると、ピッタリ。ピッタリだ。

安芸の条里と香長条里、東へ12度ばかし振れた角度が同じなのでした。これには何かの意味があるのかも知れない、とまたまた妄想が走り始める夏の朝。

 

でね。説明会で、安芸市の担当の方のご説明を聞いて、遺跡へ。

感想。広い。すごい。大きい。複合的にいっぱいある。あれも、これも。

これだけの遺跡ってのは、ちと、珍しいんではないでしょうかね。7世紀後半につくられた、寺院、官衙、運河、祭祀場の遺跡で、この地域にかなりの有力者が居たこと、わかります。写真の手前は、運河。右手の白い部分が祭祀場の大きな大きな井戸。その向こうに官衙の建物群で、その向こうが寺院。

参加者の中に、埋蔵文化財センターOBのD先生を見つけたので、つかまえてあれこれいっぱい聞けて楽しかったです。

 

まず、条里の話。香長条里と、安芸の条里が同じ角度だ、という話は、安芸市の担当の女性も、D先生もご存知でした。当たり前だ。で、その理由は謎。僕は偶然とは思えんのですけんどね。

で、この官衙や祭祀場は、その条里ができた時代より古いんだそう。確かに、構築物の角度が、条里とは違います。だから、先にここに有力者が住み、官衙などができて、その後で条里が整備されていったという歴史が垣間見えるのであります。

この運河は、この北で安芸川に堰をつくって水を引き、ここから南の田んぼを潤していたと思われます。地形分類図を見ると、安芸川の河道は、ほとんど変わってない。

何故、この海岸から数キロ離れた場所に官衙が。元々有力者が居たからか。白鳳南海地震で津波の被害を受けた海岸から離れてここへやって来たのか。D先生も、それは謎とおっしゃっておられました。

 

ともかく、なかなかすごい遺跡だということは、わかるね。

せっかくなので、できるだけ破壊しない方向で対処してもらいたい、という思いが、発掘担当者さんなどなどから溢れている説明会でした。だって、歴史的文化的に重要な場所ですきんね。できるのが教育施設ですきんね。

 

このギンギンギラギラの夏空の下、暑さにも負けず、100人以上もの人が集まってることからも、感心の高さがわかります。

想像してみよう。この下を水が流れ、そこに四角い祭祀場があり、その向こうに官衙や寺院のある風景。


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