献血、赤十字、赤新月〔6680〕2021/07/30
2021年7月30日(金)晴れ
夏真っ盛りの会社に、今日は献血車が来てます。僕ももちろん400ml。献血、好きです。
で、献血と言えば赤十字。今日は、赤十字の話を書いてみましょう。
なんとなく、赤十字の成り立ちにはナイチンゲールが関係してそうなイメージがあるけども、実は関係してません。ナイチンゲールが医療看護制度を確立していったのと、赤十字の活動が広がっていったのとは、時期的には、ほぼほぼ同時ですが。
ナイチンゲールは、クリミア戦争で軍医長官らの妨害にあいながらも、専門的な看護制度の必要性を説き、医療現場の衛生環境改善に尽力したことで知られてます。クリミア戦争は、いろんな意味で、戦争のあり方を劇的に変えていく転機となった戦争と言われるけども、戦時医療についてもそう。クリミア戦争の反省に基づき、戦争での医療体制が考えられ、構築されていくことになったと言いますきんね。ひまわり文庫には、大著「クリミア戦争」上下巻がありまして、その詳細を知ることができます。
ナイチンゲールは、赤十字を創立したアンリ・デュナンに高く評価されてたと言います。が、ウィキには「ボランティアによる救護団体の常時設立には真っ向から反対していた」とあり、赤十字社活動には関わってませんでした。自己犠牲のみに頼る援助活動は長続きしない、という考え方。これ、重要ですね。オリンピックとかでもそうやけど。
赤十字の創立に際しては、確かにそういった側面もあったが、根底にあった思想はとても重要。
クリミア戦争は1853年~1856年。
アンリ・デュナンが赤十字運動を起こすきっかけとなった第二次イタリア独立戦争の「ソルフェリーノの戦い」は、1859年。
産業革命もあって武器が進化し、戦争のあり方が根底から変わってきた。すると人的被害のありようも、劇的に変わる。そんな中、ナイチンゲールやアンリ・デュナンのような人物が、同時期に現れたのであって、これは決して偶然ではないと、思う。
ソルフェリーノの戦いで衝撃を受けたアンリ・デュナンが提案したのは、これもウィキで申し訳ないけども、この二つ。「各国に、戦争となった際に戦いの犠牲者たちを救援する組織を設けること」「戦闘による負傷者や、その負傷者の救援にあたる者を、戦闘に加わるいずれの側からも保護する法を定めること」。
それがきっかけになり、世界へ運動が広がったのでした。
アンリ・デュナン本人は1867年(日本では大政奉還の年やねー)、破産してしまうけども、その志は引き継がれていき、アンリ・デュナンも1901年に第一回ノーベル平和賞受賞者になったのでした。
僕らは当たり前に「赤十字」やけど、その十字が十字架、十字軍を連想させるということで、イスラム諸国では「赤十字」ではなくて「赤新月」がシンボルになってるんだそう。知らんかったです。で、宗教色のない統一マークも考えられて「赤水晶」が推奨されたりもしているみたい。水晶だけに。なんちゃって。
弊社にはバングラデシュ人の社員さんが何人か働いてくれてるけども、彼ら彼女らにとっては赤十字ではなくて赤新月なんですね。なるほど。
ともあれ僕らにとって献血といえば赤十字。
売血といえばブラッドバンクでミドリ十字という、731部隊につながる忌わしい歴史も、忘れたらいけません。僕らが学生の頃は、まだ、有償採漿という形で、売血が行われれたけど、あれもミドリ十字が関わってたのね。残念な残念な歴史。
今は変な心配もなく、安心して気軽に献血献血。