僕らにとっての高知駅〔6671〕2021/07/21
2021年7月21日(水)晴れ!
暑いです。暑い。ここは高知駅。朝7時前の高知駅はこんな感じね。静かな静かな高知駅前。
高知県民、高知市民にとって、高知駅ってどんな位置付けにあるんだろう。どうですか?皆さん。
普通、駅ってのは、通勤や通学に使うイメージがあると思います。確かに高知駅も、通勤の方や通学の学生さんが使う駅。確かに使うけど、そんなにポピュラーではないと思います。
今もそう呼ぶのかどうかは知らんけど、僕らの頃、国鉄で汽車に乗って通う人を「汽車通(きしゃつー)」と呼んでました。汽車通学、のことね。
高知県は、JRが電化されてないので、国鉄の時代から今に至るまで、僕らは「汽車」と呼んできた。高知で「電車」と言えば土電の路面電車。という話をこのにっこりひまわりでは幾度も書いてきたので、もう飽きてますよね。わかってます。
いや、今日のテーマは汽車と電車のことではない。高知駅の位置付けの話だ。
大学に進学して東京で住むようになったのは18歳のとき。あの時、初めて「駅」というものが毎日利用するもので、「駅」を中心に生活と移動が行われる、ということを体感したのでした。
ではそれまで「駅」は何だったのか。僕にとっての「高知駅」とは。それは、遠くへ出かけるときの、起点。遠くから帰って来た時の、終点。毎日利用するものではなく、特別な日、ハレの日に利用するもの。それが「高知駅」。つまり「高知空港」と、位置付けとしては同じだったのだ。そうですよね?
通勤通学に利用している、比率で言えばかなり少ない皆さんを除けば、高知市民にとっての「高知駅」は「高知空港」と同じ位置付けなので、あります。
そんな訳で、このページ見たらわかるように、都道府県別、「最大駅」乗降人数では、堂々の46位なのであります。高知駅。島根県の松江駅が、堂々堂々の47位。
田舎では、都会のように、駅が街の中心を為していないのだ。駅がターミナルになっていない。
そう。JRの駅って、町の中心部につくられないケースが多いのであります。高知市や松山市では、それよりも早くに土電や伊予鉄が開業し、街の中心部にターミナル駅が設けられたのにね。
高知駅。大正13年に高知駅がつくられるまでは、ここは、こんな場所でした。今朝の、この写真。スマホアプリ「古地図散歩」に明治期の地図を表示させてみました。その、青丸の場所が現在地。駅前広場。高知駅ができるまでは田んぼの真ん中やね。
つまり、鉄道は便利な便利なもので、高知県民、高知市民にとって期待のインフラだったけど、駅は、どっちかと言えば迷惑施設だったのかも知れません。汽車の煤煙、騒音、そして黄害などなど。黄害ってのは、汽車から垂れ流しになってた糞尿の害のことね。前にも書いたけど、食事中は読まないでね。
田舎では、鉄道の駅は、遠いところへ出かけるときの起点であり、遠くから帰ってくる時の終点。言わば、ハレの場所だ。そしてそれは、今も変わっていない。煤煙や黄害は無いなったけどね。
そんな訳で、今朝はハレの場所、高知駅から遠くへと出かけます。仕事です。ハレの仕事になると、いいですね。