日章の未来は明るい〔6648〕2021/06/28
2021年6月28日(月)曇り
ひまわり乳業南国工場が建てられたのは昭和40年。今から56年前のこと。
当時、本社工場が高知市南与力町にあって、南国工場のことは「日章の工場(こうば)」と呼ばれてました。みんな、南国工場とは呼ばずに「日章の工場(こうば)」と呼んでいた。
以前にも書いたけど、日章村という名前の村が存在したのは、昭和17年から昭和31年の間だけ。その「日章」という名称の由来については、以前、幾度か書いてますね。「君子の道は闇然として日に章かなりと」だ。
僕が子供の頃は、高知空港のことも「日章の飛行場」と呼ぶ人が多くて、まだまだ「日章」という地名が人口に膾炙していた時代。
日章村が南国市の併合されて幾星霜。もう、日章という地名を使う人も減り、いくつかの施設にその名前が残るばかりになりました。
今、「日章」が残ってる施設って、何があるでしょうね。日章郵便局は、僕もよく使います。国道沿いにある果物屋さんは「日章農園」さん。そういえば、空港の近くに「日章駐車場」というのがありましたっけ。
そして、日章小学校。
今日は、日章小学校で、授業をさせて頂きました。思えば2年前、4年生の授業で、日章地区の歴史などについて喋ったことでした。今回は5年生のクラスで、歴史ではなくてキャリア教育の授業。つまり、ひまわり乳業ではどんな仕事をしているのか、僕の役割は、などなどといったお話。生徒さんたちはみんな可愛くて積極的で、楽しい時間を過ごさせて頂きました。
前回のことがあるので少し予想はしちょったけど、校舎の玄関、教室の入り口、教室の黒板には、心のこもった歓迎のメッセージが。すごい。これ見るだけで、ちょっと、ウルウルきそうになるよね。ありがたいありがたい。
今回は、事前にたくさんの質問をいただいてたので、それに順番にお答えしていくような授業にしました。小学5年生の質問って、なかなか核心を突くような難しいものもあって、汗かいたけど。
それにしても、いい教育をしておられます。
元気で、積極的で、なんの躊躇いもない子供たち。前回のときもそうやったけど、心洗われました。いや、ホント。僕が子供の頃って、あんなに元気やったっけ?
そうそう。休み時間に、前回授業した子供たち(今は6年生)が挨拶にきてくれました。みんな大きくなってて、時の流れの速さを思い知る。
今は、「日章」という名前を聞くことも少なくなりました。なったけど、日章小学校では、故郷の偉人北村博士の思いを今に伝え、これからも伝えていくのでしょう。
今は立田の公民館になった「日章園」には、2万冊とも言われる北村澤吉さんの蔵書を保管した書庫が、ありました。こないだのネコビル、立花隆さんではないけど、「知」を追求すること、「知」を大切にすることを忘れず、未来を担っていって欲しい。
日章の未来は、明るい。