荒倉峠〔6646〕2021/06/26
2021年6月26日(土)曇りのち雨
今日は昼から色々と用事があって忙しいので、午前中自転車。朝、5時半に家をでて、高知市南部を徘徊してきました。
まずは浦戸湾東岸を南へ。仁井田の木材団地、造船所から種崎半島へ。まだ、県営渡船は運行始めてない時間なので、自転車にとっては危険極まりない浦戸大橋を渡って桂浜。ゆかしい浦戸の街並を抜け、長浜へ。長浜からは、「唐戸の切抜き」を通って春野。野中兼山先生が開削した「唐戸(かろと)の切抜き」は、仁淀川の水運を太平洋を経由せずに浦戸湾につなぐという、すごい発想の土木遺産。
で、春野を西へ走り、弘岡。今は、弘岡から高知市の朝倉へは、国道56号の荒倉トンネルを抜けて、しゅっと。その「荒倉トンネル」ができるまでは、荒倉峠を通る道でした。明治期には、大八車や人力車が通る道ができていたようやけど、それまでは「鶉坂」という急坂を歩いて越えた、荒倉越え。うずら坂の、荒倉越え。
今日は自転車なので、弘岡から北へ、谷間の直線道を北上すると荒倉神社。幾度か、ご紹介しました。天保十一年に根木谷から運ばれてきた巨大な手水の岩も、変わらずに鎮座してたけど、その背後の大きな樹が切り倒されてて、なんか雰囲気が変わってたのに驚いた。風景って、どんどん変わってゆく。
そして、荒倉神社から坂道を漕ぎ上がると、荒倉峠。標高96.2m。
スマホアプリの「古地図散歩」を表示させて、撮影。青丸が、現在地。つまり、荒倉峠。鶉坂は、こっから真南に、現在の荒倉トンネル南出口のところに下る道だ。かなりの急坂やね。こんど歩いてみなくっちゃ。
この、鶉坂で荒倉峠を越える道は、宇佐からのカツオを運んだ道として有名。
このにっこりでも幾度かご紹介した、宇佐、真覚寺の住職、静照さんの日記にも書かれている、カツオの早送り。幕末の頃の話ね。宇佐にあがったカツオを、塩をせず、生のままで高知の城下へ運ぶ。冷蔵設備も車もない時代、天秤棒にカツオを乗せて、一気に走ったと言います。宇佐から、ここを通って城下の雑喉場まで一時(2時間)で運んだというけど、ホントでしょうかね。
カツオはともかく、静照さんも、城下へ出る際には、鶉坂を登ってここを通ったでしょうか。通ったと思います。標高96mって、当時の人にとっては軽々と越えていく丘ですきんね。静照さんが通った峠は、今は産廃業者さんだらけになってました。風景って、どんどん変わってゆく。
さて。それはともかく、今日は、この荒倉峠から海老川へ下り、鏡岩、揺岩の地名と、予想通りのチャートの巨岩を確認して、帰ってきました。初めての荒倉越え。高知で半世紀以上生きてきて、まだ、知らなかったことだらけ。