神々しい山々と、平家と、門脇と、小松〔6638〕2021/06/18
2021年6月18日(金)晴れのち雨
南国バイパスを会社向けて走っていると、正面に見事な朝焼け。凄まじいまでの赤い空が、夜明けの高知に覆い被さっておりました。
撮影したのはこの辺。緑濃い未明の田んぼ道を、一台のバイクが走り過ぎてゆく。山々の空には、赤く染まった雲の帯。いい風景でした。
遥か向こうの山は、四国山地、県境の山々。手前左端の乳房のような山が、御在所山。平家の落人伝説に彩られた信仰の山、御在所山。壇ノ浦合戦で入水したと見せかけて、安徳天皇を奉じて脱出した平教盛が、四国山中に逃げ込んであの山に隠れ住んだから、御在所山。そういう伝説ね。
安徳天皇を助けた平教盛は、そこで亡くなったことになってます。安徳天皇は御在所山から「松尾越え」で吉野川の方へと降り、尾根伝いに四国山地を西へと回っていって、越知の横倉山に辿り着いた、という話。
松尾で安徳天皇は子供を作ったといいます。その子はその地に残され、物部川筋に降りてきて住んだ場所が「日ノ御子」という話もあるけど、どうなんでしょうか。
安徳天皇が壇ノ浦で入水したとされるのは満6歳のとき。で、四国山中へ逃げ込んで、松尾で子供を作ったのだとすると、かなり長い期間、あの界隈で過ごしたことになりますよね。だって、子供作れる歳までおった訳だから。知らんけど。
あの御在所山の左に、その松尾峠はあります。物部川水系と吉野川水系をつなぐ物資輸送ルートの峠。昔は結構な往来があったと思われます。
ところで平教盛。もちろん平清盛の弟。清盛の屋敷の門の脇に居を構えたので「門脇中納言」と言われた平教盛。高知には「門脇」という姓が結構多いけど、高知の「門脇」は、平教盛ゆかりの「門脇」である、という話を聞いたことがあります。教盛の係累。そして高知には、東部に「小松」という姓が多いけど、その「小松」は、清盛の息子、平重盛の長男維盛が、落人となって安芸にやってきたのを始祖とする、という話もあります。重盛は、清水寺の南の小松谷に別宅を構えてたから「小松殿」と呼ばれてました。
そんな訳で、高知の「門脇」のルーツはここにあり、高知の「小松」のルーツはここということになる訳だ。
「日本人のおなまえ」のレギュラー解説者森岡くんは、高校の同級生やけど、今朝の話は合ってるのかどうなのか、今度、聞いておきます。
良い夜明け。さあ。仕事を始めよう!