人口、風景、高知遺産〔6630〕2021/06/10
2021年6月10日(木)晴れ!
今日の高知新聞13面。
高知県立歴史民俗資料館は、こないだも書いたけど今年で開館30年。で、企画展「わたしたちの30年」をやってて、様々な取り組みが行われてます。僕も参加した対談があったりして。今朝の新聞には、そんな「わたしたちの30年」展に寄せて、という題名で、僕の敬愛する歴民の学芸員、梅野君が、寄稿されております。地域の歴史文化を、どのように残していくのか。なかなか難しいテーマ。
この寄稿文の中に、僕が喋った「高知県の人口が明治時代の水準まで減ると言われているが、これは明治の状態に戻るわけではない。明治と比べて村落部の人口が減少し、集落自体が消えつつある」という言葉が紹介されてます。詳しく書いてみよう。
ここでは、独立したデータが調べやすかった旧池川町を例に挙げました。
明治24年の人口 高知県 575,300人 池川町 3,908人
令和3年の人口 高知県 684,754人 旧池川町 1,500人
令和22年人口推計 高知県 536,000人 旧池川町 760人
明治の人口と、今から20年後の人口。高知県全体では似た数字やけど、山間部の人口が全然違う。そう。劇的に風景が変わっていくことが、誰でも簡単に想像できる、衝撃的な数字。
この中で、どうやって歴史文化を残し、育んでいくのか。本当に難しいテーマ。
で、今朝のこの寄稿文の中に、平成の高知として、ゆるキャラや砂浜美術館などと並んで取り上げていたのが「高知遺産」。以前、このにっこりでも紹介しました。高知の、「失われゆく風景を独自の価値観で記録」した「高知遺産」は、とてもいい本でした。出版されたのが2005年。もう、16年も前のこと。
なので、既にこの「高知遺産」で紹介されている写真の数々も、貴重な貴重なアーカイブ。16年前に、「消える場所」「消えた場所」として紹介されていた風景は、今はもう、ない。残して欲しいという願いのもとに紹介されていた昭和の匂いのする風景の多くも、16年経って、ほとんどが無くなってしまいました。
こんなことで感傷的になるのは、単なるノスタルジーなのか。
それについて、「高知遺産」を編集したタケムラナオヤさんが、こんなこと書いてます。
「この本で私たちが伝えようとしたのは、便利さと経済性が支配する社会の中で、私たちが忘れてしまいかけている街の様々な場所にもう一度目を配らせようということだ。そして、そのなかで、破壊や開発だけが街の進化ではないこと、往々にしてノスタルジーで片付けられる過去の遺物こそ、未来への一里塚なんじゃないのか?ということだ。」
人口が急減し、社会のありよう、価値観が変化していく中、重要な示唆だと思いました。
いやね、昨日、ある会合で、そのタケムラナオヤさんにお会いしたのであります。僕とタケムラさん両方をしるO君が、僕らが初対面であることにビックリしてました。僕もビックリ。
ネットで調べてみたら、今、「高知遺産」は古本でも売ってないみたい。16年経って、「高知遺産」が、高知の遺産になってしまった。
久しぶりに、そんな貴重な「高知遺産」を眺めて、この仕事の素晴らしさを改めて噛み締める、朝。