近代土木遺産、平和橋〔6616〕2021/05/27
2021年5月27日(木)雨
それにしても週間天気予報。昨日発表された週間天気予報が、今日になったら随分と変わってる、みたいな感じになってます。この季節、予報がなかなか難しいんでしょうかね。頑張って欲しい。できれば、晴れさせて欲しい。
そんな雨の四国山地、山中。ここは角茂谷。かくもだに。以前にも一度書いたことあるけど、かつての角茂谷村は、今は、大豊町と香美市に分断されてます。面倒くさいことになりました。誰の都合やったのか知らんけど。
で。ここは大豊町の角茂谷。JR土讃線角茂谷駅の近く。早朝から、国道32号線を北へと走っております。
吉野川の支流、穴内川に架かるこの美しい橋は、平和橋。昭和5年8月架橋。昭和5年というと、土讃線が土佐山田駅から角茂谷駅まで開通して、角茂谷駅ができた年。つまり、角茂谷駅へのアクセスの為にできた橋と言えましょう。吉野川水系に架かる橋は、汽車の駅へのアクセスで架けられた橋がとっても多い。それにしても赤いトラスが美しいねー。
大豊町では、こないだの旧吉野川橋(明治44年)と、この平和橋(昭和5年)それに豊永駅の近くに架かる豊永橋(昭和6年)が、近代土木遺産に認定されてます。大豊町の近代土木遺産は、全部、橋。全部、トラス橋。当時の土木技術の最先端やったんでしょうな、トラス橋。
ちなみにこの橋の橋脚は、レンガ積みではありませんでした。
平和橋という名称は、昭和5年という年に関係してるんだろうか。翌年、昭和6年には満州事変で、そろそろ世相がきな臭くなってくる時期。その年の11月に、我らが濱口雄幸総理が、右翼のバカヤローに東京駅で銃撃されて重症を負ってます。そんな時代に「平和橋」。命名した方の「思い」でしょうか。
昭和10年に土讃線が全通するまで、須崎~豊永間は「高知線」と呼ばれてました。鉄道唱歌のメロディに乗せて「高知線の歌」 というのがつくられたのが昭和7年。で、須崎駅から大杉駅までの駅が、それぞれ題材になってて、その歌詞が駅に掲げられてたりします。
ところが、繁藤駅と角茂谷駅は、同じ24番が掲げられてるのが、謎い。なぜなんだろう。
マンガン砿や木材に 天坪村の名もたかく 蕨狩りゆく角茂谷 穴内川の清らかに
この歌詞を書いたボードが繁藤、角茂谷、両方の駅に掲げられているのです。なぜ?
その頃、繁藤駅(天坪駅)も角茂谷駅も、両方あったのに、歌はひとつしか作られなかったのは何故だろう。謎だ。どうでもいいですか?
謎はともかく、雨の穴内川に架かる赤いトラス橋。
さすがさすがの近代土木遺産、平和橋は、人類の平和を願って、今日も美しい。