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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

牧牛社、牧牛会社、牧牛舎〔6611〕2021/05/22

牧牛社、牧牛会社、牧牛舎

2021年5月22日(土)薄曇り

今日明日は梅雨の晴れ間。よい週末をお過ごしたいもの。

さて。小生の祖父が昔書いた「高知県の乳業史」という文章があります。日本で酪農乳業が始まったのは明治の頃で、高知県では明治20年くらいのこと。で、以前にもご紹介したことあるけど、その中の文章を抜粋します。

「高知県に乳牛が導入されたのは明治の中頃と聞いています。それは県有であって、現在の警察学校附近に牛舎があり、数頭の乳牛が飼育されていた。その 牛乳は一部の人びとの飲用に供されていたようである。この県有乳牛はそのために、池知春水氏が県から払い下げを受けて潮江村「高知市潮江」に畜舎を建てて 数頭を殖して本格的に営業を始めたのであります。」

 

この「現在の警察学校付近」というのは今の県警本部付近のこと。そこで、県が輸入した乳牛が飼育されたのが高知県の酪農乳業のはじまり。明治20年のことと言います。その後、池知春水氏がその乳牛の払い下げを受け、梅ヶ辻に移転して、「牧牛社」として経営されてました。その辺の話を書いたのが、上記文章。

上記文章だと、県警本部近くにあったのは県有の畜舎で、池知氏が払い下げを受けて始めた「牧牛社」は梅ヶ辻、ということになります。

するってーと。以前ここで書いた「明治20年、池知春水さんという方が、県が輸入していた乳牛の払い下げを受けて、始めたのでありました。後に潮江へ移転しますが、明治38年まで「牧牛社」は存在し、その後も池知牧場として、高知を代表する乳業でありました。」という文章と矛盾することに、なる。どこかが、間違ってますね。今日はそれを調べる余裕はない。ないですが、早朝高知城界隈をうろうろしてて、こんな説明板を発見してしまいました。「絵図に見る北曲輪地区」という説明板。この写真の説明板。そこには「明治6年に廃城令が出され、倉庫は取り壊され、明治27年には、牧牛会社などとして利用されていたが、大正6年には運動場となった・・・」と書かれてあります。出典は昭和の初めに編纂された高知公園史。ここで、牛が飼われてました。

今日は「高知公園史」を調べる余裕はない。ないですが、ここに出てくるのは「牧牛会社」。

 

さて。以前ご紹介した、我らが寺田寅彦先生の随筆を再掲します。明治40年に、昔のこと(たぶん明治20年代)を思い出しながら「ホトトギス」に書いたもの。

「帰り途に旧城の後ろを通った。御城の杉の梢は丁度この絵と同じようなさびた色をして、お濠の石崖の上には葉をふるうた椋の大木が、枯菰の中のつめたい水に影を落している。濠に隣った牧牛舎の柵の中には親牛と小牛が四、五頭、愉快そうにからだを横にゆすってはねている。自分もなんだか嬉しくなって口笛をピュッ/\と鳴らしながら飛ぶようにして帰った。」

明治11年に江ノ口川沿いで生まれ育った寅彦少年は、ここで、高知県酪農乳業の黎明を見ていたのでした。そしてそこに出てくるのは「牧牛舎」。これはもう、一般名詞に近いですねー。どうなる?牧牛社と牧牛会社と牧牛舎問題。

 

そんな訳で、昔のことを理解する、知る、というのはとても難しいということが、これだけでもわかります。「高知公園史」がどれだけ正確なのかも、わからない。今年から正式な「高知県史」の編纂という僕ら高知県人にとって画期的な事業が始まると、こないだ新聞に載ってたけども、奮闘努力を期待したい。期待したいですねー。

 

ところで。僕の祖父は、勤務していた銀行(窪川の支店長だったと聞いています)が破綻して、上に出てくる池知春水氏に弟子入りして鞄持ちとなり、独立して牧場経営を始めました。それが大正11年。それをひまわり乳業の創業とすると、来年で100年を迎えます。


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