2連亀甲のチャートの石積み〔6612〕2021/05/23
2021年5月23日(日)晴れ!
良いお天気の日曜日。気温も高くなりそうで、善き哉善き哉。コロナ退散コロナ退散。
今日は用事があるので、早朝、伊野の大国様まで自転車で往復してきました。ベージュの折りたたみ号で家を出たのは朝5時。7時過ぎには帰ってきて、僕の一日が始まります。
なんで大国様なのか。
実は昨日、高知県立歴史民俗資料館で、開館30周年の企画がありました。それに行ってましてね、そこでお会いした方が、珍しいものを教えて下さったのであります。僕が石積み好きだということを知って。ありがとうございます!
大国様の、駐車場の方から入っていく小道の脇。ここに、一見、変哲もない石積みがあります。
石積みの上には、秋葉神社、恵比寿神社、水神社、海津見神社がお祀りされてますが、この石積み。チャートの亀甲積みみたいですね。ところが良く見ると、2個ばかし、不思議な石があります。そう。亀甲が横に連なったような石。四国みたいな形ね。そんな石が、2個見えますでしょうか。これはちょいと珍しい。
そもそも亀甲積みという技法が高知でポピュラーになるのは明治初期のこと。しかもチャート。チャートという石は、かなり固いので、加工が難しいんですね。加工しやすいのは花崗岩。花崗だけに。それはともかくチャートの亀甲積みですぐに思い出すのは山内神社でしょうか。山内神社の、鏡川側の石積みはチャートの亀甲積みですよね。山内神社ができたのは明治4年なので、たぶんその頃に積まれたものだと僕は推測してます。
ではここ、伊野の大国様のチャートの亀甲積みはいつ頃積まれたんだろう。それは、今日は調べる時間、ない。ありません。そして、なんでこんな、横につながったような亀甲石をつくったのか。
この存在を昨日教えて下さった方は、大国様だけに、米俵を意識したのではないか、とか、大国様が持ってるあの打出の小槌みたいなのをイメージしたのではないか、とか想像されてました。なるほど。そうかも知れない。もしこの石積みが明治のものだったりすると、もう、石積み職人さんの意図はわからんかも知れんけど。
でも、とにかく何かしらの意図があったことは、間違いない。
ちなみに鏡川沿い、山内神社のチャートの石積みを見てみたけど、こんなのはありませんでした。ただ、横に長いのは、あります。角の部分を算木積みにするため、横長の石を使ってました。でも、こんなのは、ない。
ちなみに伊野の大国様と呼び習わしてるけど、正式には椙本神社。御祭神は大国主命のほか、そのご先祖様の素戔嗚尊、奇稲田姫命もお祀りしてます。
たしか、仁淀川の洪水の際に河畔に神像が漂着し、それをお祀りしたのが始まり、と聞いたこと、あります。HP見たら、それは793年のことと言いますきに、古い。真相はわからんけど、仁淀川と仁淀川洪水に深い関係があるのは間違いないでありましょう。
HPには、最初に祀ったのは加治屋谷と書いてます。地図みてもわかりませんでした。が、ひょっとしたら加田の界隈か?
地理院地図、地形分類(自然地形)で見てみると、こう。現在の大国様(十字の場所)は、大丈夫そうですね。洪水。
ともあれ、この石。不思議な二連亀甲の石は、石工さんの心意気なのか。一度、調べてみたい。
世の中、新しい発見に溢れてて、楽しい。ご教示いただき、ありがとうございました!
みたいなことを、伊野まで自転車漕いで楽しんで、このにっこり書いてもまだ8時になってない。早起きは得やねー。
さあ、今から僕の、もうひとつの一日が始まります。