明治の桂浜〔6606〕2021/05/17
2021年5月17日(月)雨
昨日、雨の中、桂浜のこと書きました。明治以前の桂浜は、今よりずっと浜が狭かった、という話。今僕らが見ている桂浜と、明治までの人たちが見ていた桂浜は、全然違う風景だった、という話ね。で、昨日あれを書いてから、土佐史談会きっての資料ハンターにしてコレクター、Iさんに、明治期の桂浜の写真ないでしょうかね?と問い合わせたら、こんな写真を送ってくれました。すごい。正確な時期はわからんけども、明治期の桂浜の絵葉書だ。Iさんにご了解いただいて、撮影しました。
桂浜には「夫婦岩」があった、とは、聞いたことありました。その写真ですね、たぶん。これが桂浜、と言われても、皆さんピンと来んと思います。でも、こんなに岩がゴロゴロしてたのが、明治までの桂浜なのです。で、この写真はどこからどの方向を撮影したのか。そのヒントは、手前の岩のてっぺんにありました。少し割れて二股になってるのを覚えててください。
で。
Googleマップのストリートビューで、龍馬像の真下あたりから龍頭岬の方を見てみたのが、これ。この右側の岩のてっぺんをご覧ください。そう。この、砂に埋もれている岩が、夫婦岩右側の岩なのでした。つまりあの岩の場所は、明治期までは波に洗われる磯だった、ということ。つまり、砂が岩の半分を埋めてしまうほど堆積した、ということ。
現在のこの場所から砂を排除したら、再びこんな風景が見えるようになる、ということがわかりました。わかりましたよね。面白いでしょ?
ちなみに左側の岩の形が違うではないか、というご指摘は、ごもっとも。今一度別の角度からその岩を見てみると、現在のあの岩は、石をツギハギして人工的につくってる岩だということ、わかりますね。だから、形状が昔の写真と違うのであります。
絵葉書の浜の角度が、現在の浜の角度と違うではないか、というご指摘も、ごもっとも。現在の浜は、龍頭岬から龍王岬にかけてまっすぐに海岸線が走ってるけども、明治以前は、両方の岬が海に突き出してて、浜は抉れこむようになってました。逆コの字型に。だから、絵葉書の浜は、ほぼ南を向いた浜だったのでした。右側に明治期の地図のスクショがあるので、ご参照くさだい。
今、こうやって見ている桂浜の砂は、ほとんどが明治以降に堆積したもの。それまでは、水族館の前に、この絵葉書のような、岩がゴロゴロした浜があって、それが月の名所と謳われた桂浜だった。
その痕跡が、砂浜から顔を出した、この岩。
大自然ってのは、意外なほどのスピードで変化します。河川の流れや海岸の形状なんかは、特に速い。桂浜がこんな風景になったのは、防波堤ができたから。人間の営みが自然に与える影響ってのは、僕らが思っているよりもずっと大きい。産業革命以来の、そしてこの数十年の地球環境の変化も、僕らが思っているよりも、ずっと大きい。