高知の飛び込み、オリンピック前史〔6602〕2021/05/13
2021年5月13日(木)曇り
今朝の高知新聞。飛び込みの宮本葉月選手が、東京オリンピックの代表選手に決まったという記事。素晴らしい。コロナでどうなるか不透明なオリンピックやけども、どちらにしても、オリンピック代表に選ばれたという勲章は変わらない。見事なものです。
で、新聞には、その宮本選手がどういう環境の中で、どのように成長してきたかが描かれております。「こうちワイド」面には、宮本選手を育てた瓶子コーチ夫妻との、夢を追いかけた歴史が描かれていました。
今朝書きたいのは、この新聞では語られていない、オリンピック出場「前史」。高知の飛び込みが強くなり、オリンピック選手を輩出するようになっていった歴史。高知新聞さんも、ここまで調べてくれたら嬉しかったけどねー。
それは、30年ほど前に遡ります。
ひまわり乳業の本社は、高知市与力町にありました。その本社で営業として勤務する都築は、関西で過ごした大学時代、インカレなどでも活躍した飛び込みの選手でした。高知の弊社で働くようになってから、「高知ダイビンクグラブ」というクラブで、監督として選手指導をするようになったのであります。
その最初期の教え子が、笑里佳ちゃん。
当時の高知の飛び込み事情では、夏場は春野のプールで練習できるけども、冬場は練習場所もなくて、練習お休みになるような環境でした。そこで都築は、与力町にあった弊社社員寮の2階を借りて、そこでできるトレーニングを始めたのでした。そして。
元々、与力町の本社は、工場でした。工場ではなくなった後も、物流の拠点となっており、大きな冷蔵倉庫があったんですね。そして丁度その頃、物流機能を南国工場へ移転し、それまで冷蔵倉庫だった建物は、大きな物置になりました。そこに目をつけたのが、都築。
その大きな倉庫に大きなトランポリンを持ち込み、天井からベルトを吊るして命綱として、冬場のトレーニング場としたのでした。そこで練習し、頭角を表したのが、笑里佳ちゃん。
あのトランポリンを使っての高知ダイビングクラブのトレーニングは、10年くらいは続いていたでしょうか。僕らも、ちょっと遊ばせてもらったりした、トランポリン。飛び込み演技のクルクル廻るやつを、トランポリンで練習する風景は、なかなか凄かったです。で、その、最初期の笑里佳ちゃんは、大学でも飛び込みを続けることになり、関西の、都築の母校へと進学。そこで、選手として、そして指導者としての能力を磨くことになったのでした。
その大学の、笑里佳ちゃんの2年先輩だったのが、瓶子勇治郎選手。
その後、笑里佳ちゃんは瓶子選手と結婚。そして、高知ではよく聞く話やけども、勇治郎選手を引き連れて高知へ帰ってくる、というGood Job。
その瓶子夫妻が、都築の後継として、高知の飛び込みを引っ張ることになったのは、必然でした。
そして全国でも活躍できる選手が育つようになり、高知県の飛び込み環境も改善(弊社倉庫もなくなりましたし)して、そして、遂に、今、オリンピック選手が生まれたという訳です。
当時、トランポリンが置いてあった倉庫は、ここ。この十字の場所の建物。ここがなければ、笑里佳ちゃんが大学で瓶子選手と出会うこともなく、高知で瓶子コーチが指導する歴史もなかった訳で、そう考えると、宮本選手のオリンピック代表選出には、ひと際、感慨深いものが、あります。都築も、感激ひとしおだと思いますねー。
そんな訳で、高知の飛び込み、オリンピック前史には、弊社も、ちょびっとだけ、登場するのでした。