近代土木遺産、掩体壕、平和遺産〔6596〕2021/05/07
2021年5月7日(金)曇り
昨日、近代土木遺産である、大豊町の旧吉野川橋のこと、書きました。では、南国市にはどんな近代土木遺産があるのか、と思ってこの表を見てみると。なるほど。掩体か。「前浜地区の掩体壕群」が、近代土木遺産に認定されているのでした。
そこで今朝は、会社からも近い前浜へ、その掩体壕の写真を撮りにいってきました。これ。
実は、同じアングルで2005年8月26日に撮影してます。あれからもう、16年。ほとんど変わらない姿で、掩体壕は残されていました。
崩落防止のため、鉄骨の柱が立てられてるくらいでしょうか。そして枇杷の木。16年の間に、こんなに大きな枇杷の木が。
桃栗三年柿八年
で、その続きには色んなバージョンがあるのはご承知の通り。原田知世の「梨のバカめが18年」を思い出したら、貴方は僕と同世代だ。それはともかく、その続きのパターンの一つに「枇杷は早くて13年」というのがあるらしいです。そう。枇杷は早くて13年だとすると、16年でこんなになるのは宜なるかな、という訳です。
探してみたら、2012年に、この掩体壕を反対側から撮影した写真がありました。まだ小さい枇杷の木、写ってます。もう、あれから9年ですきんね。
16年前は、まだ、前浜の掩体群も、知る人ぞ知る、という感じでした。その後、南国市の史跡として文化財に指定され、説明板も整備された掩体壕群。史跡指定のうえに、土木学会から近代土木遺産にも選ばれてるのは、今朝知りました。
昨日の橋とかは、明治の土木技術の素晴らしさを見ることができる土木遺産やけども、前浜の掩体壕は、戦時中という特殊な状況の中、資材も不足する中で応急につくられた土木遺産。その簡易で安易な構造が、戦時中という時代を実感させてくれます。なにより、ここに確かに「戦争」があった、という事実を、本物の迫力をもって後世に伝えていく、という意味で、とても重要な土木遺産だと思います。
こういう戦争遺跡を「平和遺産」として指定、保存する制度ができたらいいと思いました。県下にも、いっぱいあります。戦争から76年が経過し、戦争を知る人も少なくなる中、確かにここに「戦争」があった、という事実を教えてくれるものが必要だと思うから。