本山盆地、河岸段丘、バーベキュー、商談室〔6589〕2021/04/30
2021年4月30日(金)晴れ
雨上がりの朝。朝日がなにもかもを煌かせる、朝。
昨日は雨の嶺北で、それはそれでなかなか良かったです。人も居ないし、マイナスイオンたっぷりやし、山の新緑はとんでもなくきれいやし。
本山や田井は、盆地。高校生の頃、初めて行ったとき、四国山地の山中にあんな盆地があって、大きな街があることに驚いたこと、思い出しました。四国山地は急峻な山と川ばかりで、土讃線沿線のような風景が広がってるものと思ってたので。
ところが実際の山の風景は豊かで、本山田井のような盆地もあるし、怒田や八畝のような広大な棚田地帯もあるし、集落は、山の裾ではなくて山の上の方に点在しており、山の上の道でつながっていたのでした。そして今よりもずっと多くの人々が暮らしていた、山。
本山は、藩政期初期には野中兼山知行地であり、土佐藩家老の土居所在地であって、小城下町的に栄えた町。参勤交代の道も、通ってたし。山は、今よりもずっと存在感がありました。戦国期には本山梅慶が土佐の中原にまで進出し、朝倉を本拠として覇を唱え、長宗我部との戦国土佐決勝戦を戦った訳で、それだけの地力を蓄える素地が、本山盆地という土地にはあったのでした。
本山盆地。
地溝性盆地。これもプレート運動がかかわってますよね。フィリピン海プレートの圧迫によりユーラシアプレートに皺ができ、断層ができる。そんな断層に挟まれるかたちでできるのが地溝性盆地。
その盆地を吉野川が流れることによって、たくさんの河岸段丘ができました。本山城も、そんな段丘の上に。平地と、段丘の小山と、川と。そういう自然条件の中で街が形成されていき、有力豪族が生まれ。
昨日のモンベルアウトドアヴィレッジも、吉野川の河岸段丘の上に。そこのコテージでは、テラスで家族連れがバーベキュー。
昨夜のニュースでは、全国各地の人出の様子とかが流れてました。さて。ここでなんとかひと踏ん張り。
写真は、弊社の臨時商談室。今は、不要不急の商談は延期してますが、必要至急のものについては、ここで。オープンテラスが商談室。風さえ吹かなければ、今の季節は、最高に気持ちの良い商談室。
ここでバーベキューができるようになる日が、早く、訪れてほしい。