水中考古学〔6562〕2021/04/03
2021年4月3日(土)晴れ
昨日、瀬戸内海の話の中で海底考古学なるものの妄想を、書きました。で、調べてみたら、そういった分野の学問、ありました。まあ、考えてみりゃあ、当たり前やけど。名称は「水中考古学」。こんなページがありました。アジア水中考古学研究所のHP。で、ここに、「水中考古学」の定義が書かれてますな。
「水中」というと水の中の浮遊物みたいなイメージがあるので「水底考古学」が正しいけど、「水底」と「推定」が語感が同じで混同されやすいからやはり「水中」が相応しいという、まあ、わかったようなわからんような話。「海底」でないのは、湖とか池とか川とかの底も対象になるので、理解できます。
そんな訳で「水中考古学」。
日本の水中考古学の歩みも、このページで勉強できました。昔の遺跡が、なんらかの理由で水中に沈み、それが発掘されてきた歴史。もちろん沈没船の調査も、この「水中考古学」の守備範囲だ。この瀬戸内海で言えば、昭和63年に福山市沖の水深27mで発見された沈船なんか、有名みたい。龍馬が海援隊で使い、紀州船と衝突して沈没した、あの「いろは丸」ではないか、と話題になったんですね。で、調査の結果、「いろは丸」で間違いないと特定された、話。
そうそう。白鳳の南海地震で海中に沈んだという伝説がある、黒田郷。その黒田郷を特定してみようと、弊社の近くにある独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の若手研究者がプロジェクトつくってましたねー。僕も、そこに呼ばれて意見を求められました。あれも、考えてみりゃあ水中考古学でしょう。
水底にある遺跡の利点は、酸素がないので酸化、腐敗が進まない。つまり保存状態が良いことが想定されます。まるでタイムマシンのように、古い時代の遺物が新鮮な状態で出てくる可能性が、ある。弱点は、もちろん技術的な問題。水深の深いところを調査する、というのは、素人が想像してみても大変そうですきんね。それでもどんどんと技術は進歩してるし、上記のJAMSTECなんかが協力したら、すごい調査ができそうな気がします。南国市のJAMSTECって、あの、「はやぶさ2」が持ち帰った試料を分析したりする研究機関だもの。
ただ、この水中考古学のHPを読む限りでは、2万年前、海水面が現在より100m以上低かった時代の遺跡調査は、まだまだ行われてないみたいです。現生人類がアフリカから広がって日本列島までやってきてた、2万年前。高知でも奥谷南遺跡とかには、その痕跡があるけど、奥谷南遺跡は当時で言えば高地性集落になる訳で、海岸部では、かなり広範に人々が暮らしていた可能性がある訳なのである。
写真は、今朝、岡山からの帰りの瀬戸内海。ここが海でなかった2万年前、僕らが想像もできんような風景があったのかも、知れません。多くの人々が暮らしていた風景が。
もしかしたら、そんな遺跡が、酸化してない、腐敗してない状態で眠っているかも知れんと思えば、夢が広がる水中考古学。