昔、新聞には「夕刊」というのがあってね・・・〔6464〕2020/12/26
2020年12月26日(土)晴れ!
夕刊が、終わった。高知新聞は、昨日の夕刊で、昭和2年から(戦時下の7年間の休刊をはさんで)続いてきた歴史に、終止符が打たれました。今回も一応「休刊」となってるけど、このメディア情勢のなかで復活することは、なかなか難しそう。たぶん、もう、これでおしまい。
この、昨日の「最後の夕刊」には、昭和2年の紙面にはじまって、アーカイブ特集が組まれてました。
そこで僕も、アーカイブ特集。このにっこりでご紹介した夕刊の紙面を、探してみたのでした。
初めて夕刊紙面の写真を紹介したのは、2005年5月11日。名古屋で開催されてた「愛・地球博」で、サークルK四国さんのPBとして弊社が製造していたカップコーヒーが売れ行き好調、という記事。なるほど。そんな博覧会もあったし、そんな商品もありました。今はもう、サークルKさんもなくなってしまって今は昔。懐かしいっすね。
2017年5月16日には、「話題」欄に、このにっこりひまわりのこと書いてくれました。その写真は無いけど、翌日、そのこと紹介してます。写真、撮っときゃ良かった。どんなこと書いてくれたのかも忘れてしまったが、こんなブログのことがコラムになるのも、高知新聞夕刊ならでは、やね。懐かしい懐かしい。
2018年6月1日には、その前日の夕刊の、春野のあじさい街道の記事。復活にむけた取り組みが始まったという話題で、地元の西込さんの動画も紹介してますな。
2018年12月12日には、前日夕刊の「半割れ」の記事。東海地震が発生して南海地震が発生しなかった場合、それを「半割れ」と呼んで、非常に危険な状態であることから、「半割れ」でも避難をする指針をつくった、という記事。連動してますきんね。とてもとても大切な情報の記事でした。
2019年6月6日、前日夕刊のあきやまひろみさんの記事。そうそう。あきやまひろみさんは、粘土細工でたくさんのオシャレな小物をつくってるんですが、ひまわり乳業関連のものも、つくってくれてます。だから嬉しくなって、紹介しました。こんな記事が載るのも夕刊ならでは、やねー。
2019年8月7日。これは前々日夕刊の「ほにや」仕様のリープル、コーヒーの記事。2018年夏、ほにや仕様「リープル」を作って好評だったので2019年にはコーヒーも作りました。そんなこんなを、素敵な記事にしててくれた、僕らの夕刊。
今年にはいって、2月27日。前日夕刊の池田暁子さんの記事。おきゃく電車をご一緒した、高知へ移住してこられた漫画家、池田暁子さんを紹介する記事でした。こんなのも、やっぱし夕刊やね。
コロナが広がる今年の4月24日。前日夕刊の、深海の熱水噴出孔の研究成果の記事。こういう記事、大好き。地球のことって、まだまだ知らないことだらけだ。
今年7月9日、前日夕刊のフランク・チャンピオンのことを刻んだ説明板ができた記事。ついでに讃岐のこんぴらさんが、神社本庁から離脱したという記事もね。
そして12月10日。高知新聞から夕刊がなくなってしまう、という衝撃のニュースとともに、前日夕刊の「ジョン・レノン」没後40年で追悼が行われている、という記事。このコロナの真っ最中、一面トップでこのような記事の見出しが踊るのも、夕刊ならでは。さすが、高知新聞夕刊だ、と喝采を送ったことでした。
こうやって見てくると、紙面を撮影して紹介してるのって、割合最近のことということ、わかりました。そうか。そうやったのか。
昨日の、最後の夕刊の記事によると、中四国の地方紙で最も部数が多く、最も長い歴史を有する夕刊だったそう。その、西日本の「夕刊の雄」が退場するインパクトは、大きい。
メディア環境の激変と人口減少などで、仕方ないっすね。仕方ない。ショックやけど。
でも、夕刊ならではのような緩い記事、アートな記事、和む記事など、ありましたよねー。
この、昨日の最後の夕刊に掲載された過去の夕刊記事アーカイブ。
もうね。
高知新聞夕刊でしか書けんでしょう、こんなの、というような見出しが踊ります。最後の最後にこれ持ってきたの、高知新聞の編集の気概というか意地というか矜持なんだと思いました。
最後の夕刊。
将来、今の子供が大人になる頃、「昔、新聞には夕刊というのがあってね、・・・」という会話をするんでしょうね。そんな話題のとき、この写真を「これが最後の夕刊でね、・・・」と紹介するのか。この最後の夕刊も、貴重な貴重なアーカイブ。
長い長い間、ぼくらを楽しませてくれて、ありがとうございました。