高知測候所と観測データ〔6460〕2020/12/22
2020年12月22日(火)晴れ
昨日、高知の気温のこと書いて、一昨日は稲荷新地にあったという「高知測候所」のこと、書きました。今日はオーテピアに来て、調べ物と仕事してるので、ついでに「高知地方気象台創立100周年記念 高知県の気象」という本、見てみました。昭和57年発行の冊子で、過去の高知の気象データなど、詳細に解説してくれてます。
この本に「高知地方気象台沿革」というのがあって、そこにはこう書かれてます。
「明治14年12月、高知県では気象観測事業の実施を計画し、当時の県令田辺輝美氏は内務省地理局から測器を借り受け、同時に観測技術修得のため同局大塚信豊氏を招いて3名の観測者を養成した。そして創設事務に従事するため、高知公園内の旧物産蒐集場に仮事務所を設け、その間に土佐郡下知村稲荷新地に庁舎を新営、明治15年2月に竣工した。」
中略
明治15年3月1日 高知測候所開設
気象観測開始、9回観測(地方時06:00,09:05,12:00,15:05,18:00,21,05の6回と東京時09:30,15:30,21:30の3回)
観測種目 気圧、気温(乾湿球、最高最低気温、風向、風速、雲量)
中略
明治21年5月1日 高知市丸の内1番地(高知公園二の丸)に移転
確かに、稲荷新地にできた測候所で、明治15年3月から観測を開始してますね。稲荷新地は、もうその頃になると下の新地として高知城下でも最も繁華な盛り場のひとつになってた訳で、なんでそんな場所に4階建ての洋館を建てたのかは、謎だ。
観測には、高い場所が必要で、当時珍しかった4階建てにしたのは、わかる。でも高いだけなら、後で引っ越した先のように、高知城とか筆山とか五台山とかいくらでもあった訳で、なんで稲荷新地だったのか。
謎やねー。
ところで、その「高知地方気象台創立100周年記念 高知県の気象」の横に、高知県河川協会というところが昭和28年に発行した「高知縣気象70年報」というのがあって、これにも高知の過去からの気象データや気象概況などが詳細に描かれてます。すごいのは、この本、文字が全て手書き。ガリバンやね、これ。表に書かれてる数値も全部手書きで、昔の人ってすごい、と思いました。
写真は、その本記載のデータベースから、高知の平均気温のページ。1896年からなので、明治29年からのデータしかないから、稲荷新地に測候所があった時のデータでは、ありません。これ見ると、年間の平均気温は、概ね15℃~16℃。日清戦争の頃は、そんな感じの平均気温だった、高知市界隈。
ネットで見たら、気象庁のホームページで、1886年、つまり明治19年からのデータがあって、こんな感じで表示されてました。この、1886年から1888年頃の気温は、稲荷新地の高知測候所で観測したものでしょうかね。
こうやって見てみると、高知市は、明治からこっち、随分と気温が高くなってること、わかります。もちろん都市化の影響もあるだろうけど、温暖化の影響もあるんでしょうな。
そんな訳で、地球環境の話は、また明日しますねー。