市営プールの水がキレイで冷たかった理由〔6452〕2020/12/14
2020年12月14日(月)薄曇り
今年も12月14日がやってきました。旧暦の十二月十四日は赤穂浪士の討ち入りの日。雪が降る中の討ち入りというイメージがあるけど、どうやら今日から雪が降るような寒いお天気になる予報。やっと、冬になるようです。
ところで今は、プールも温水になって、市営や県営のプールとかも、年中泳ぐこと、できます。僕らが子供の頃は、そんなプールは珍しくて、ほとんどは夏しか泳げない、プール。今の文化ホールのところにあった県民プールは温水でしたっけ。
そして「市営プール」の水は冷たかった。そして今日、その冷たさの謎が、解明されたのでした。そう。市営プールの謎。
こないだからハマっております「月刊土佐」。今はその31号(昭和61年10月)から41号(平成元年2月)までをオーテピアで借りてきてて、昨日の日曜日はゆっくりと眺めておったりしました。その35号、昭和62年10月号の「建築の諸相」というコーナーで紹介されてるのが、高知市営プール。そう。僕らが子供の頃に一番通ったプールで、深い方の大人用のプールの水の冷たかったこと。痛いくらい冷たかった市営プールの思い出。
で、このページで紹介されてるように、あの市営プールが作られたのが昭和11年のこと。高知商業の北村久寿雄選手がロサンゼルスオリンピック1500m自由形で金メダルを獲得したのを記念して、建設されたと言います。昭和11年というと土讃線開通の翌年で、南国土佐大博覧会の前年。つまり、今の競輪場界隈で南国博覧会が開催されたときには、既に存在した訳だ。
こうやって見てみると、なかなかモダン。昭和初期の建築一般に言えることやけど、どれもこれもなんとなくモダン。ひとつひとつが、凝ってますね。窓の形をわざと変化させてみたりして。そして、うまく曲線を使ってるのも特徴。
左側の写真はスタンドの下で、脱衣所とかがある場所。そうそう。あんな感じやった。結構広い脱衣所があってシャワーがあって、階段を上がっていくとプール。
そのプールは、ここにありました。つまり、今の補助グランドの場所。飛び込みプールもあって、建設当時はなかなかの施設やったと思われます。それにしてもお洒落やね。当時はもう古くなってて、お洒落とも思わんかったけど。
この記事に「あと三年ほどで壊される」と書いてるように、その後取り壊されてしまいました。だからこの写真も、今となっては貴重なアーカイブ。
水の冷たさの話でした。
そう。この記事にこう書かれています。「水は鏡川の地下水を汲み上げているので、水道料金はいらない。」そうやったのか。だから水がいつもキレイで冷たかったのか。ずうっと思っていた謎が、今、解けました。そうっすよね。昭和11年につくられたプールですきんね。そうかそうか。
「月刊土佐」では、幾号かにわたって「建築の諸相」というコーナーが設けられてて、楽しい。今も残ってる建物もあれば、この市営プールのように取り壊されてしまったものも。
こういった、街の様々な風景、なんでもないような風景を残してくれてる雑誌はありがたい。今の情報誌は食べ物とかの話題が多いけど、こんな切り口、少ないっすよね。
そう言えば。「月刊土佐」に食べ物の話題って、ほとんどありません。なるほど。