光松トンネルの向こう側〔6450〕2020/12/12
2020年12月12日(土)晴れ
師走の土曜日。例年だと、街にはジングルベルが鳴り響き、たくさんの人で賑わう季節。今日は街には近づいてないけど、たぶん、かなりいつもとは違う風景になってるんではないでしょうかね。仕方ない。今は我慢我慢。
僕は、久々に自転車で出掛けました。コロナには用心しながら。マスクしたまま自転車、というのもなかなか苦しいけど、我慢我慢。明けなかった夜は、ない。
明けなかった夜はないけど、悲劇的な終焉を迎えた施設、というのはありました。
ここにあったのは、グリーンピア土佐横浪。そう。1980年代、年金の掛け金を利用して全国に13ヶ所つくられた大規模保養施設、グリーンピアのひとつが、横浪にあったこと、覚えてますよね。竜基地と光松基地の2ヶ所にわかれて建設されたグリーンピア土佐横浪の、光松基地が、このトンネルの向こうにありました。
バブルの頃の政治案件。政治家が中心になって、各地にバブリーな保養施設を、僕らのお金である年金の運用資金で作った訳で、今考えるとどうしようもないスキムな訳で、どのグリーンピアも大赤字を計上したのは当然な訳で、政治家ってどうしようもないな、と溜息が出てしまうのでした。ああ。
ただ。
その悪名高く赤字垂れ流しのグリーンピアを再生させることに成功、という事例だったのも、ここ光松なんですね。赤字垂れ流しになった状況で、民間事業者への運営委託が行われ、ここ光松は委託された民間の方の努力で、なんと黒字化に成功したのでした。年間1億の赤字が、黒字。すごい。
しかし。
小泉改革の大波に洗われてグリーンピアは全て廃止が決定され、その後については自治体に任されるということになり、須崎市はその後の活用について提案を募集、黒字化を成功させた事業者さんも応募するけど、落選。そして、光松は、変わりました。
今、この光松では、かの山﨑圭次さんが創業された山﨑技研さんが、自然とともに生きる事業として、環境負荷の少ない海産用稚魚の種苗生産を行っておられます。これは、正しい。
Googleマップで見ると、人工スキーのスキー場跡も、痛々しく残ってます。あの人工スキー、やったことは、ありません。まだ小さかったJr.を連れて行って、ソリみたいなのをやったような記憶があるような無いような。記憶は廃墟を駆け巡る。ツワモノドモの、夢の跡。
そんなこんなの、人工スキー場跡も全部ひっくるめて、今は山﨑技研さんが所有し、地に足の着いた、地球のことを考えた事業を行なっておられます。
このトンネルの向こう側が、グリーンピアだった場所。今はこのようにゲートが閉じられ、時折、山﨑技研さんの社員さんの車がゲートを開けて入っていくばかり。
悲劇的な終焉を迎えたけど、今は未来にむかって歩んでいる。
やはり、明けなかった夜は、ない。