練兵場の痕跡が風化する〔6449〕2020/12/11
2020年12月11日(金)晴れ
コロナの足音がヒタヒタと。
なんか、近くから足音が聞こえてくる感じが嫌ですね。なんとかここから減少に転じて欲しいと祈るばかり。今日は用事があって、朝から朝倉方面へ来てます。朝倉方面といえば高知大学ですが、高知大学でも、昨日遂に学生さんからのコロナ感染者が出て、今週いっぱい、学生さんの構内への立ち入りが禁止されてます。また、リモート授業になるのか。大変やけど、頑張ってください。
高知大学は、陸軍歩兵第四十四聯隊が所在した跡地につくられました。みなさんご承知の通り。
戦時中の地図を見ると、今の高知大学のところに「四四歩」と書かれ、その南に「文」の学校マーク。朝倉尋常小学校で、当時は朝倉国民学校ね。その南に田んぼがあって、その南に水路があって、その南が広い広い練兵場。
1960年代の航空写真を見ると、もちろんもう練兵場はないけど、昔の風景を想像すること、できます。この十字の場所に立って、撮影したのが今朝の写真。十字の場所の下に、大きな鍋のような形状のワンブロックがありますが、そこが練兵場でした。兵隊さんが訓練する場所ですね。
戦後間もなく、昭和22年10月の航空写真がこれで、高解像度表示ボタンを押して見てみて欲しいのですが、当時はまだ、聯隊の風景が残り、戦時中を引き摺ってるけども、練兵場跡地には田んぼが広がってるの、わかります。
さて。
で、今朝の写真。高知県療育福祉センターの北側。この水路は、ここが練兵場だった時代から存在し、水路から南の広い広い場所が、練兵場でした。
その水路に架かる橋を療育福祉センター側に渡ると、フェンスの向こうに石柱が見えます。花崗岩なので、風化が進んで少し読みにくいけど「陸軍省所」と刻まれているのが読める、石柱。そう。この石柱が、ここが陸軍省の所轄であったことを示す標柱で、つまりここが陸軍の練兵場であったことを今に伝える痕跡なのでした。
以前はここに電柱があって、その脇に生えてた標柱ですが、療育福祉センターが新しくなり、ここにフェンスができて、こんな感じになりました。以前とはちょっと違うけど、ちゃんと残してくれたのは、嬉しい。
この界隈、道路ができたり大きな施設ができたりで、近年随分と風景が変わりました。ここに広大な練兵場があった記憶も、人々の頭からは消えていっていると思います。
しかしここにも戦争があったことは、この標柱が、伝えてくれている。風化しやすい花崗岩なので、文字は風化してるけど、記憶を風化させないで欲しいっすね。
練兵場跡地は農地となり、そこで、矢野さんという方が酪農を営みました。しかしこの界隈は急速に宅地化が進むことになります。そこで、その酪農家さんは、大豊町の山のてっぺんを開拓して、広い広い牧場をつくり、そこに移転されました。もう、何十年も前のこと。現在、とても良い品質の生乳をたくさん生産してくれている黒松牧場さん。そのルーツは、ここだったのでした。
黒松牧場さんの生乳は、今、サニーマートさんの「れいほく高原牛乳」に使用され、とてもおいしいと評判です。