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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

貸本屋さん〔6443〕2020/12/05

貸本屋さん

2020年12月5日(土)晴れ

昨日は、TSUTAYA中万々店様のスーパー書店員さんのこと、興奮気味に書いてしまいました。すごいですきんね。

で、そもそも僕らにとってのTSUTAYAさんって、レンタルCDとレンタルビデオのお店でしたよね。時代の変化とともに、お店のありようも、少しづつ変化してきております。で、本は売ってるけど、レンタルはしてません。たぶん、昔から。

そこで思い出したけど、昔はたくさんありましたね。貸本屋さん。僕らの世代は覚えています。貸本屋。マンガの単行本などは、貸本屋で借りて読むものだった。中学高校の近くにもあって、よく借りに行きました。そんなこと、すっかり忘れ果ててたけど、そんな時代だった。

 

で。今、オーテピアから借りてきてる「月刊土佐」の、1985年8月1日発行、第十九号は、なんと「現代貸本屋事情」特集が組まれていたのであります。

昭和60年。僕が高知へ帰ってきて働き始めた頃ね。その頃の高知の貸本屋事情を、詳細にレポートしてくれてます。もうその頃になると、僕は、貸本屋さんには行ってなかったから、どんな感じやったのか興味あります。

その特集によりますれば、その当時、高知市には15軒、高知県全体だと33軒の貸本屋さんが確認できたそうです。そんなにあったのか。しかしその頃も「衰退の一途をたどる」と書かれてて、どんどんと姿を消していた雰囲気が溢れてます。ネットで調べてみたけど、現在は、たぶん、0軒。まんが喫茶とかネカフェとかできたしね。いつ頃全部無くなったんでしょうかねー。ただ、TSUTAYAとかで、レンタルコミックの事業が始まってると書いてるページもあったりするので、正確には「街の貸本屋さん」は0軒になった、と言うべきか。

 

このレポートによると、貸本屋さんの全盛期は昭和30年頃。娯楽の王様はもちろん映画やけど、貸本もなかなかのもの。特に子供にとっては、なくてはならなかった貸本屋さん。蛍橋のたもとで三坪(!)の貸本屋さんを営んでいた植野さんによると、台風前には、1500冊あった本のうち、三分の一は借り出されよったというから、すごい。借りる順番を待つ行列が、店の外にできていたという、そんな時代がありました。鬼滅の刃新刊発売もビックリ。

 

昭和30年代には、週刊明星や週刊平凡などの週刊誌、少年マガジン、少年サンデーも産声をあげた訳やけど、そういった雑誌類も、貸本屋で借りて読む人が多かったのでした。

そう言えば、僕が東京で大学生やってた頃も、新井薬師の薬師銀座にあった貸本屋さんでマンガ借りて読んだりしてたねー。

水木しげるさんは、復員後、紙芝居作家としてデビューし、紙芝居屋さんの衰退とともに貸本屋用のマンガを描くようになって生計をたて、貸本屋が衰退する中で仕事がなくなって極貧の生活を送り、その後週刊誌マンガでブレイクしていくという人生を送ったと記憶してます。

 

社会構造、世の中のありようの変化で、僕らの生活もどんどん変わってゆく。

街の貸本屋がなくなったのは、本を読まなくなったからではなくて、本を読む「ありよう」が変わったから。どんなに社会が変わっても、どんなに「本」のありようが変わっても、「本を読む」という人間の行為は不滅である、と思うので、これからもいろんな方法で、本を読み続けていきたいと思うのでした。


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