歯科医院の洋館とB-29〔6404〕2020/10/27
2020年10月27日(火)晴れ
升形。高知市升形。
電停は「枡形」でバス停は「升形」やけど、どっちも「ますがた」で、江戸時代には四角い広場みたいなスペース「升形」があって、お正月の御馭初イベントの際には、騎馬武者の集合場所にもなったりした場所。城下町建設の折、兵士の集結地として郭中と上町の境目につくられた方形のスペース。兵士の数を数えるのに使われた、と言いますね。
その升形に、戦争を潜り抜けた素敵な洋館があることは、高知市民の皆さんならご承知のことでありましょう。大正14年12月に歯科医院として建てられた洋館は、昭和20年7月4日の高知大空襲の痕跡を残しつつ、今も美しい姿でたたずんでおります。建てられたのは、初代院長、織田信福さんね。最近はかなり有名。
2015年9月19日のにっこりで、歯科医院としての役割を終えた翌日の様子をご紹介しました。そして、その建物の歴史などにも少し触れてますので、読んでみてください。
今は、同じ敷地内に明るくて洒落た歯科医院が建てられてて(写真右奥)、院長は5代目。4代目院長は、実は僕の従兄でして、3代目院長が伯父。そんな訳で、生まれた頃から歯医者さんと言えば、ここでした。南与力町の家から、電車に乗って通った歯医者さん。当然、通うのは、嫌でした。だって歯医者さんですもの。歯医者が好きな子供は、いません。でも、あの待合室の雰囲気は好きだった。
冬になると、大きな火鉢が出されて、それで暖を取る。歯医者さんというと、あの、火鉢の匂いを思い出します。
社会人になってからは、4代目院長の弟さんがやってた三園町の歯医者さんへ通ってたんですが(実家から近かったので)、このたび、めでたくご引退。ご隠居。という訳で何十年ぶりかで、こちらに戻ってきたのであります。
もちろん新しい建物の、新しい設備による新しい診療になってて、とても快適。
そしてこの洋館は、ウェディングプランニングの会社さんによって、時々、結婚式なんかに使われてるようです。素敵っすね。
昭和20年7月4日の高知大空襲では、高知市内一円、灰塵に帰しました。市内中心部で唯一焼け残ったビルを、2018年9月にご紹介したこと、あります。そして升形に残った織田歯科医院。
落ちてくるB-29の焼夷弾の中、必死で焼けないように頑張った、というお話を聞いたこと、あります。焼夷弾が池に落ちて、池の鯉が煮えて死んでしまった話とか。
この塀。真ん中あたりに残っているのは、その時の弾痕。焼夷弾が爆発し、この塀に傷跡を残しておりました。75年経過した今も、貴重な戦争遺跡として、この素敵な洋館とともに残されています。
様々な歴史を刻む、升形、織田歯科医院。