なんでもない風景を撮影しておく〔6400〕2020/10/23
2020年10月23日(金)小雨
こないだ、こんな本、買ってしまった。「東京レトロ写真帖」。最近こんなの、多いっすね。この写真帖は、東京浅草橋在住で洋食屋さんも営む写真家、秋山武雄さんが、1950年代から撮りためた東京の風景写真をまとめたもの。東京に縁のない方には、面白くもなんともないけど、東京の町を知ってる者にとってはかなり素敵な写真帖。
1950年代の、僕が知らない東京。
1980年頃の、僕が住んでた東京。
住んでたけど知らなかった風景も、たくさんあります。
そしてコロナになってからやってないけど、出張の早朝、たつくりまわった東京の、今昔。東京は、劇的に変化してきたし、今も変化してるし、これからも変化しつづけてゆくし。
もちろん、高知市の今昔の風景写真とかが、僕らにとっては一番面白い訳やけど、蠢く大都会、東京というモチーフも、なかなかに興味深いものがあります。なんせ、いろんな歴史、いろんな顔を持った大都会ですきに。
コロナになって行ってないけど、築地はどんなになったんだろう。築地が市場だった頃、僕はしょっちゅう、行きました。早朝走って行きました。あのゴチャゴチャした雰囲気が大好きで。豊洲に移転してからも、キレイな豊洲、なんかわざとらしい豊洲、観光客に媚びる感じのする豊洲よりも、まだ築地の雰囲気が残る築地場外を楽しむことが多いのでした。
築地の航空写真は、これ。地理院地図には、まだ、取り壊されてない築地の風景が写ってます。この扇型は、鉄道貨車のプラットフォーム。汐留駅から引き込まれた鉄道の貨車が、ここで築地の物資を積み下ろししていたのでした。東京市場駅という、レッキとした、駅。
昭和11年頃の写真が、これ。まだ完成して何年にもならない、ピッカピカの築地の風景。鉄道の貨物駅が併設されているという、当時としては画期的超近代的市場であった、築地。
東京市場駅は、1987年まで存在した訳で、僕が東京に住んでた頃にも存在しました。行ってないけど。当時、山手線から東側は未踏のワンダーランドだったから。
さて。現在のGoogleマップ。衛星写真は、まだ、取り壊し前やね。
でも、ストリートビューで見てみると、もう、取り壊されてます。しかし、築地内部のストリートビュー見てみたら、まだ、あの築地の賑わいが残ってました。ああ。今は昔。
この右手に小さい道があって、それを新橋方面へいくと、こんな感じで美しいカーブ。そう。ここを、汐留から築地への引込線が走っていたのでした。今は、こうやって当時の踏切だけ、残されてます。1987年まで、ここを築地への鉄道が、走ってた訳だ。今は昔。
コロナはコロナとして、風景はどんどんと変わってゆく。後になって後悔せんように、今のうちに見ておかんといかん風景は、多い。多すぎて、追いつかんけど、できるだけ見ておきたいね。なんでもない風景の大切さ。