右から左〔6386〕2020/10/09
2020年10月9日(金)雨
台風が沖を通過中。知らんそうして通り過ぎてくれたら嬉しいけど、どうなるでしょうか。被害のないこと、祈ります。
雨の中出勤してて、この写真を撮りました。昔からなんか気になってるやつ。鏡川大橋北詰。
鏡川大橋北詰の橋の下の広いスペースは、「高知市放置自転車等保管所」になってます。高知市内各所に放置されたままの自転車を回収してきて、保管する場所ね。いつも、たくさんの自転車が整然と密集して並べられてます。その保管所は金網フェンスで取り囲まれてて、そのフェンスに、こんな看板がしつらえられてます。昔っから。
うよめやは置放の車転自
ここは中の島から常盤町の方へと向かう側道で、人も自転車も車もよく通るところ。車で通りながらこの看板が目に飛び込んできたら、一瞬「?」となります。なりますよね。僕らは横書きの日本語を右から読むのに慣れていない。最近、右から読む日本語って、なかなか見ませんきんねー。
日本語って、そもそも縦書きで書かれてきた文字ですよね。江戸時代とかの文書に横書きって、見たことない。明治になり、外国語が流入してくるようになって、横書きが登場してきた訳ですな。するてえと、外国語が左から右(アラビア語は知らんけど)が基本だから、日本語も左から右に書くことになりそうじゃないですか。実際、左から右に書くのが、横書きの始まりやったそうです。しかし、そこに「明治時代以前から看板などで使われていた右書き文字」問題が立ち塞がり、いろいろ諸々あって、戦前は右から左と左から右が混在するようになった、と、このページに詳しく書いてました。
縦書きでは、今でも右から左へ書くから、その延長線上なのかも知れませんな。
でね、ここにもあるように、左から右に統一しよう、という動きが、昭和17年、文部省主導で行われたんだって。知らんかったです。そもそも日本政府からの話だった訳だ。戦後の進駐軍ではなくて。
ところが戦時中、敵国文化に合わせるようなことに抵抗する勢力があって、浸透せんかった訳です。ビートルズが来日したときに「日本文化が損なわれる」と大反対した人たちが居ったみたいにね。
そうそう。その時の映像で、赤尾敏が、ビートルズ公演反対の演説をしてるのをこないだ見ました。赤尾敏、懐かしゅうございました。
横書きの話でした。
で、戦後は左から右で徐々に統一されていった訳やけど、営業車やトラックに書かれてる社名とか商品名とか、あれ、運転席側は右から左へ書いてたりしますよね。あれは、進行方向の前から後ろに書かんと読みにくいとか縁起が悪いとか、色々あったんでしょうね。そんなこと、聞いたこと、あります。
でも、減ってきたと思います。若い世代には右から左は違和感ありますもの。なので日本語横書きでも、後ろから前になっても左から右に書くのが増えてきたと思う、今日この頃。
で、今朝のこの写真。
ここはトラックボディーの側面ではありません。なのに、なぜ、右から左?
考えられる理由
1.この側道に車が入ってきて右から左へ通過するのに、この方が読みやすいと思ったから
2.放置自転車を運ぶトラックのペイントを頼むときに、ついでに発注したら、こんなのが納品されてきた。
他、あります?
ちなみに、ここを車目線でストリートビューで見たら、こう。もし、理由1だとしたら、その右の「高知市放置自転車保管所」が左から右であるのと整合性が取れない。
理由2だとしたら、トラックの助手席側のペイントが左から右なのと、整合性が取れない。
朝っぱらから、謎は、深まってゆく。
どうでもいいですか?朝っぱらから。