月曜の朝の妄想〔6382〕2020/10/05
2020年10月5日(月)晴れ
月曜の朝は、いつもより少し早めに会社へ。せっかくの一週間の始まりなので、会社の部屋とかトイレとか、掃除したりしてサッパリしてます。
掃除して、一仕事済ませて、新聞読んで、今、牛乳飲みながらこのにっこりを書いてます。が、まだ6時になりません。外は真っ暗。こうやって過ごすと一日をヒトよりたくさん持ってるような気がして、得した気分になれるのが、いいっすね。
写真は、今朝、3時半頃の弘化台。この十字の辺り。出勤途中、セルフタイマーで撮影しました。シャッター開放中に動いたので、僕は少し影が薄くなってて心霊写真風。幽体離脱みたい。
海の向こうに高知の街灯り。鏡川河口、鏡川大橋の大きなアーチが見えてます。その右が中の島の棒堤で、その右が堀川の河口。
左端には丸山台。夜明け前の静かな海。
こんなページがありました。どなたが作ったのか知らんけど。これみると、この眼前の風景の歴史っが概観できますね。この弘化台ができて中央卸売市場が移転してきたのが、1967年のこと。
現在の航空写真がこれで、1960年代のがこれ。この写真では、まだ市場は移転してなくて、埋め立てがほぼ完了して整地、施設建設が進んでるくらいでしょうか。
もし、ここに弘化台の埋め立てが行われなかったら。
1967年というと僕は6歳で、僕にとってここに弘化台は「ある」ものとして認識されてるけど、ここにこの埋め立て弘化台がつくられなかった歴史、というのもあり得た訳で、今朝はそんな風景を想像してみたいと思います。月曜の朝恒例、妄想シリーズのはじまりはじまり。
誰がここを広く埋め立てて、市場を移設してこようと計画したのかは、知りません。もし、その計画が採用されず、浦戸湾内の埋め立てを回避した都市計画が為されていたとしたら。
浦戸湾は、今よりもずっと広く、美しい湾として、存在していたと思われます。この航空写真から、弘化台や仁井田の埋め立てを削除してみたら、わかります。
この航空写真を見ながら想像力を働かせると、埋め立てを考えないとすれば、九反田にあった中央卸売市場はやはり九反田にあり続け、九反田から中の島にかけて、今、弘化台に立ち並んでいるような市場関連業社さんの施設が並ぶことになったのではないでしょうか。
するってえと、はりまや橋を中心とした繁華街と市場は歩いて往来できる距離になり、銀座と築地のような関係で、はりまや橋から九反田にかけてが、飲食の盛り場のひとつとして栄えることになりました。
そして広く美しい浦戸湾は、市民の海として親しまれ、海と街が近い、高知の城下ができあがりましたとさ。
という妄想。平野が狭い高知では、静かで広い浦戸湾の海面を活用しよう、という考えが近代になって湧き起こったのは、わかります。
でも、社会構造が変化した現代になってみると、それが果たして最良の選択であったのかは、わからない。
さて。これからのことを考えると、未来の予測なんてなかなか難しいという事実に鑑みて、できるだけ、地形や風景に手を加えないように知恵を絞ることも大切なんではなかろうか、と思ったりするのでありました。僕らの子孫に、風景を伝え、残していく者のさだめとしてね。妄想はここまで。
さあ。今週も張り切って頑張って仕事仕事!