大王信号場〔6381〕2020/10/04
2020年10月4日(日)晴れ
日曜日の早朝は自転車、という流れが、最近目立ちますな。まあ、時間を有効に利用して、ストレス発散と仕事、用事を片付ける力技では、あります。
今朝も、高知駅まで乗った自転車を折り畳んで輪行袋に入れ、高知駅4:51発の特急しまんとに乗って、大杉へ。輪行袋からベージュの折り畳み号を出し、国道や旧国道を高知方面へと走ったのでした。
国鉄土讃本線の、大杉駅と大王信号場の間に大杉トンネルができたのは1973年。確か、それまでのルートでは杉の大杉が見えてたと記憶します。その廃線跡は今も残っており、穴内川を渡る橋が、旧国道からも見えておりますね。
そして大王信号所と土佐北川駅の間に大豊トンネルができ、土佐北川駅が橋梁の上の駅となり、大王信号所が廃止されたのは1986年のこと。割合、最近なのね。
その廃線の跡も、かなりの藪漕ぎにはなるけど、通れん訳ではありません。今の季節は厳しいけど。鉄橋の橋脚とかトンネルとかもそのまま残ってて、整備したら観光探検ルートになるのに、などと思うのは僕みたいなマニアだけかも知れません。だけでしょうか。だけやと思います。
ここは、ここ。1986年まで、ここを土讃線が走ってました。1986年というと、しつこいようですが、ほんのこないだのこと。その線路があったところは、今、結構広い道路になって、ゆとりすとパークへとつながっています。
ここの現在の航空写真は、これ。そして1970年代、つまりここに線路があった頃の航空写真は、これ。この十字の場所に、今、ベージュの折り畳み号と一緒に立ってます。天気は、小雨。
1970年代の写真では、ここになにやら構築物が見えます。そう。ここだ。ここが、恐らく大王信号場だったのでした。
覚えてますか?大王信号場。
信号場ってのは、駅ではないけど、列車の待ち合わせなどに使う場所。単線の場合、あまりに長い区間で行き違いができないと、ダイヤがかなり制限されてしまうから、途中に信号場をつくったりするのでありますね。
土讃線では秘境駅として名高い坪尻駅や新改駅も、元々は信号場として開設され、戦後になって駅に昇格したのでした。でも大王信号場は、駅に昇格しないまま、国鉄が民営化される直前になくなってしまったのでした。
覚えてますか?大王信号場。時々、列車のすれ違いで停まってた大王信号場。小学生の頃、各駅停車で阿波池田の向こうの箸蔵まで乗ったときに、大雪により、大王信号場で汽車が何時間か止まってしまったこと、覚えてます。汽車から降りて、雪で遊んだりした思い出。機関車が引っぱるタイプの客車で、自動ドアなんかなかったから、出たり入ったりは自由でした。
その大王信号場の場所、よくわからんかったのですが、地理院地図のおかげで見当がつきました。たぶん、ここ。ここでしばし遠い日の記憶に浸り、自転車漕いで繁藤から甫喜ヶ峰のキャンプ場の横を通り、平山へ下って急坂を死ぬ気で漕ぎ上がって新改駅。今、新改駅で、一人で汽車を待ちながら、このにっこりを書いてます。誰も居ない山中の駅。至福の時間。
汽車で帰ってから、ちゃんとした一日が始まります。
一日を二日分過ごしている気分。早起きは一日の、得。大王信号場もみつけたし。