世界遺産「姫路城」へ始めて行きました〔638〕2005/01/13
2005年1月13日(木)晴れ
ご覧のお城、日本人ならすぐに判りますよね。そう。姫路城の威容でございます。ひまわり太郎は、今日の午後から出張で兵庫県は姫路へ来ちょります。仕事も一段落したので、せっかくですから姫路城へ行って来ました。歴史が大好きなひまわり太郎ではありますが、実は姫路城へ登ったことが無かったのであります。新幹線から遠望したことがあるだけでした。
実際に行ってみますと、ホント、でかいですね、姫路城。桁違いという形容がぴったりの、ものすごいスケールのお城です。昔、小学生の頃、姫路城のプラモデルを作ったことを思い出しました。
螺旋状に迷路のようになった通路を、いくつもの門をくぐりながら登っていくと、どでかい天守閣の下にたどりつきます。
日本には、国宝のお城はここ姫路城と、ほんの数える程しかありません。我が高知城も、残念なことに重要文化財。そして、この姫路城は、1993年、日本で最初にユネスコの「世界遺産」に登録されました。実際、行ってみますと、これが世界遺産に登録されたのは当然、という感じでございました。
この地に最初に砦を築いたのは、太平記の時代の赤松則村と言われちゅうそうです。その後、紆余曲折を経て、羽柴秀吉が名参謀黒田官兵衛の勧めで入城し、1581年、3層の天守閣を築いたそうであります。西国攻略の本拠地にした訳ですね。関ヶ原の後、徳川家康は、娘婿の池田輝政を入城させ、池田氏が現在の姿の巨大なお城を建築することになりました。大阪の豊臣秀頼を意識してのことでしょうね。そして、その後、家康譜代の本多忠政が入封、大阪の陣で滅びた豊臣秀頼に嫁いでおった2代将軍徳川秀忠の娘「千姫」を、息子本多忠刻の正室に迎え、西の丸を整備して、現在の姫路城の形が完成したのだそうです。西の丸、見応えありますよ、ホント。
戦災にも火災にも地震にも遭わず、今の姿を残しちゅうのは奇跡ですな。素晴らしいことです。