お産土坊主の火玉〔6343〕2020/08/27
2020年8月27日(木)晴れ!
暑い。ちょっと雲が多めで、時折、雨が激しく降るお天気。でも、暑い。
そこでちょっと涼しくなるお話でもしましょう。最近、高知新聞にも「とさ怪奇譚」という連載があって、高知各所の怖い伝説を紹介してるので、負けてられません。負けてられるか。別に負けてもいいんですが。
こないだ、南国市篠原に伝わる土佐の皿屋敷、春喜神社のこと、書きました。今朝は南国市後免界隈に伝わる、ちょっと怖いお話、お産度坊主の伝説。
藩政期。高知の城下に福岡という家老の屋敷がありました。その福岡家には、年頃の美しい娘がおったそうです。一人娘で、たいそう大切に育てられておりました。その頃、福岡家に「玄徳」という茶坊主が居ましたが、その大事な一人娘と玄徳が、恋仲になってしまう。身分が違いすぎる禁断の、恋。人目を忍びながら逢瀬を重ね、遂に、ある夜、手を取り合って駆け落ちしてしまったのでした。
玄徳の故郷は川北。現在の安芸市川北やと思われますが、取り敢えずそこへ向かって歩き始めるも、後免で世が明けてしまう。深窓の令嬢は、長距離歩くのに慣れてないので、休まんといかん。
そこで。後免の東町に住んでいた「名高い」郷士の家を訪ね、匿ってもらうことにしたのでした。事情を話し、土蔵に匿ってもらった訳ですね。たいそう大きなお屋敷で、明治の終わり頃まで大きな杉の大木と屋敷跡が残っていたと言います。
そして。
その郷士、匿っておきながら福岡家にご注進してしまいます。ああ。この「名高い」というのが、ポイントやった訳やね。どんな「名高さ」やったのかが、重要管理点。
早速やってきた福岡家の追手に捕らえられ、茶坊主の玄徳は、罪を得たのでした。伝説には罪状が書いてないけど、まあ、当時としては身分のこともあって重罪だったんでしょうね。そして、玄徳は、処刑場で首討ちとなってしまったのでした。
その後。その処刑された場所と、後免東町の郷士の屋敷の間を、毎夜のように魂が火玉になって飛んだといいます。今も、飛んでいるのかも知れません。
処刑された場所は「お産土坊主の墓」ということで、今も、祠と石仏が残されているといいます。
丁度、この写真の界隈の空を、火玉が飛んだのかも知れません。火玉、写ってませんよね。
ところでどうしても気になる玄徳の罪状。
同じ駆け落ちでも、「純信お馬」は、純信が国外、お馬が城下からの追放という判決になりました。お馬が鋳掛屋の娘だったからなのか、純信が高僧だったからなのか、純信は打ち首になっていない。玄徳の相手が、家老の一人娘だったから打ち首、というのであれば、確かに玄徳の怨念が毎夜ここを飛んだのも、宜なるかな。悔しいよね、玄徳くん。そしてその一人娘が罪を得た、とは聞きません。その後どうなったのかは、気になるところ。
南国市で火玉が飛ぶというと、「比江山七人みさき」が有名やけど、ここにもそんな伝説が残されていました。
涼しくなりましたか?
怪奇譚もいいけど、熱中症対策には牛乳がいちばん。牛乳飲んで、今日も一日、頑張ろう!