馬酔木とライオン宰相〔6297〕2020/07/12
2020年7月12日(日)小雨
よく降ります。ここは日曜日朝の五台山。展望台のある公園。
あの展望台は、僕らが子供の頃に乗ったロープモノレールの山頂駅「見国停留場」として建てられたもの。五台山、眺望の名所「見国嶺」がその界隈だったから、見国停留場。展望台の裏手へ廻ると、そこがロープモノレールの転回場であったことがよくわかるので、確認しておこう。どうやらその建物は取り壊されるようで、見納めも近いから。
この公園には、馬酔木がたくさん植わってます。あせび。馬酔木が一番美しい季節は5月くらいだと、僕は思ってます。野山の馬酔木の葉っぱが色づいて、そのなんとも言えない微妙なグラデュエーションが、好き。今朝五台山へ行ってみると、もう7月だというのに、馬酔木の葉っぱが色づいてました。小雨の中、あちこちの馬酔木の葉っぱが深い翠に彩りを添えている五台山。
馬酔木って、その漢字が表してるように、馬が食べたら酔ったような症状になる木。馬が食べたら酔って足がなえるから「足癈(あしじひ)」と呼ばれ、「あしび」「あせび」となった、という話。知らんけど。でも万葉集に「あしび」が取り上げられてる歌、多いから、太鼓の昔から日本人にとって親しみのある植物であったのは間違いないっすね。
馬だけじゃなくて草食哺乳類は馬酔木をよう食べません。なので、馬酔木が多い山は、鹿とかの食害が多いケースが多いんだそう。五台山には、かつて鹿が多かった。だから五台山には馬酔木が多いんだろうか。いかん。文章に多いが多い。
馬酔木の向こうに濱口雄幸像。濱口雄幸先生銅像建立の会によって、2000年に建てられた銅像。郷土の先輩、という贔屓目を差し引いても、本当に偉大だったと思います。金解禁が大恐慌と重なったのは不運だったけど、考え方は間違ってなかったと思う。なにより、この国のことを考える信念、矜恃が尋常ではなかった。政治を志す、とはそういうこと。それがなければ政治家なんかになってはいけない。濱口雄幸さんのことを知るなら、ぜひ、「濱口雄幸:たとえ身命を失うとも」か「濱口雄幸と永田鉄山」を読んで欲しい。銅像の背後に碑が建てられてます。その碑文から抜粋。
「先生は人となり謹厳実直にして清廉潔白微塵の私心なく、政治は国民の最高道徳との理念を身をもって実践され、範を示された不世出の大政治家で、特に国民経済の立て直しと軍縮に功を注いだ。しかし世界恐慌は経済政策遂行の壁となり、軍縮は軍部の怨嗟となって昭和五年東京駅頭で凶弾に倒れ、日本は泥沼への道を転げ落ちていった。いま政治は岐路に立っている。二十一世紀を迎えるこの時、ライオン宰相濱口雄幸先生を敬仰する有志あい集い、この銅像を建立、その偉業を永遠に顕彰してやまない。」
20年前の文章。考えさせられる、文章。この国のことを考える信念、矜恃が尋常ではなかった。政治を志す、とはそういうこと。それがなければ政治家なんかになってはいけない。
馬酔木の花言葉は「犠牲」「献身」。濱口雄幸さんの銅像に、よく似合う。