埋立公園の石積み〔6261〕2020/06/06
2020年6月6日(土)薄曇り
6月6日。色々連想する日ですね。僕は「かわいいコックさん」。だから6月6日は雨ザーザー降ってくるイメージなんですが、今日は薄曇り。梅雨入りしてから、梅雨入りした日以外はほとんど降ってない、高知県地方。そんなもんです。
土佐史談会の今井さんは、コレクター。歴史的に貴重なものを、たくさん集めておられます。そのコレクションの中でも圧巻なのが、絵葉書。明治から昭和にかけての、高知の絵葉書コレクションには、とても貴重な風景写真が収められております。
最近のコロナ禍の中、ステイホームを少しでも楽しく、ということで、そのコレクションの一部をFacebookとかで公開してくれている、今井さん。素晴らしいですね。
こないだも、稲荷新地の写真が収められた絵葉書を見ながら、にっこりを書かせて頂きました。今朝は、ここ。
今井コレクションでご紹介されてた「埋立公園」。
桟橋の、南高校の南の岸壁は、今は海上保安庁の巡視船とかが停泊している埠頭。その埠頭は埋め立て地。明治の頃は、南高校の南、総合保険協会の北側の道あたりが海岸線でした。明治後期になって、その海岸線の南に、島状に埋め立て地ができたのが、埋立の始まりだったのです。知らんかった。
その四角い島状の埋め立て地には、海岸から二本の橋が、架かってました。
高知港の桟橋ができて、昭和37年、そこに土電の電車が開通します。最初は梅ノ辻から桟橋まで。最初はにぎわったけど、すぐに寂れてしまったという桟橋界隈。そりゃあそうだ。当時は、なんにもない場所。本当に、なんにもない。
そこで、その島状の埋め立て地を公園として整備し、人を呼んでこよう、と考えたんですね。何もなかった埋め立て地を、公園に。その公園は順次充実し、明治41年の新聞広告に「埋立地に於て自動点滅器をりようして最新なるイルミネーション及び狂火(花火)、烟火、蓄音器の催しを行う」とあるから、力入ってます。
その埋立地の周囲は、当時の写真を見ると亀甲積みの石積に見えます。場所柄、石灰石かも知れない。ところが。
この場所。遊覧船乗り場の横。ここに、石積が今もあります。ひょっとしてこれは、埋立公園の痕跡か?
今井さんの写真にその石積の写真があったので、今朝5時頃、確認に行ってきました。石積は確認しなくっちゃね。
今井さんの写真では砂岩の布積みに見えたんですが、現地行ってみて、花崗岩であることが判明。花崗岩か。しかも布積。やはり石積は現地で見んと、わかりません。埋立公園の外周は亀甲積みの写真が残ってるから、この石積は、当時のものではないかも知れません。
この向こうの桟橋は、海にせり出すように作られてるから、その下を探検してみたら、ひょっとしたら埋立公園の時代の護岸が確認できるかも知れんけど、それが確認できたらどうなるものでもないので、確認されることはないんだろうなあ、と思いました。
どうでもいいですか?
でも、ここに夜間ライトアップされた公園があったんですね。
この埠頭には、かつて、鹿児島や東京行きのフェリー「さんふらわあ」が停泊してました。今の若者は知らんでしょうね。高校の修学旅行で、鹿児島からの帰りに乗った「さんふらわあ」。
桟橋ができ、電車が通り、埋立公園ができ、競馬場ができ、そして「さんふらわあ」が着岸した風景。競馬場は南高校になり、「さんふらわあ」は廃止になり、そしてその南高校もなくなろうとしている、今。
この石積が埋立公園の時代のものだとしたら、この花崗岩は、そんな風景の移り変わりを眺めてきた歴史の証人というか証石というか。
この花崗岩を叩いてみれば、諸行無常の響きあり。