50年前の風景、回転まん〔6233〕2020/05/09
2020年5月9日(土)曇り
コロナによる自粛要請は徐々に解除の方向へ進んでるけど、ここ、ひろめ市場は、今のところ今月いっぱい休館の予定になってて、土曜の朝というのに静かな静かなたたずまい。はやく、ひろめでグッスリ呑みたいね。飲りたい。
この左手の空き地が、旧追手前小学校の敷地。今、「西敷地」として、その活用方法を巡っていったりきたりしてる、土地。
すぐそこに、かつて、追手前小学校の西門がありました。正門は北側なんだけども、僕らはいつも西門を通って通学してた、あの懐かしの少年時代。世の中は、ぜんぶ、僕らのものだった。
このにっこりでも、幾度か、この界隈の風景描写をやってます。それだけ懐かしく、思い出深い場所なんだ。そう。
この右手の角にあったのは切手屋さん。その向こう、西門の真ん前にN酒店。N酒店のNくんは同級生。始業の鐘が鳴り初めてから家を出るというツワモノで、こんなに近いのに、よく遅刻して叱られてたNくん。
その向こうに楽器屋さんとかがあって、そして食堂「やまや」。回転まんとか、かき氷とかがあって、いつもお客さんで賑わってました。
その横の路地を西へ入り、クネクネ行くと、現在高知でデザイン事務所をやってるホリくんち。
「やまや」の向こうには文具屋のノリオの事務所。その向こうには狭い間口のプラモ屋「竹屋」があって、その向こうの角がテッちゃんちの果物屋。ホリもノリオもテッちゃんも、みんな追手前小学校の同級生。この界隈の風景は、ぜんぶ、僕らのものだった。
回転まんの「やまや」では、ドリフの映画のロケがあったと記憶してます。僕らが小学生の頃のドリフターズは空前の人気者で、ロケがあるというので、この通りが見物人で溢れてました。僕らは、小学校の新館のベランダから、その群衆を見下ろしたことでした。まだ、荒井注が居た頃の、ドリフ。
「やまや」と言えば回転まん。太鼓まんとか大判焼きとか、色んな呼ばれ方があるけど、「やまや」では回転まんだったと覚えてます。違うちょったらごめんなさい。
以前、このにっこりで、その名称について考察したこと、あります。
東京では「今川焼き」と呼ぶことが多い回転まんなので、今川焼きの由来について、深く考察してますね。暇だったんでしょう。
その「今川」は、戦国大名の今川氏とは全然関係なくて、江戸の街中、どまん中の「今川橋」に由来する、という話。
昔、JR神田駅の南西で外堀から分岐し、北西へ流れて神田川へ出てた「竜閑川」という川がありました。その小さな川に架かっていた「今川橋」。近くに、地元町人の代表であった名主、今川善右衛門という人物が住んでたから、今川橋。
その界隈のお菓子屋さんが、回転まんみたいなの、作って売って評判になったから今川焼き、ということらしいです。知らんけど。
今川橋があったのは、ここ。この十字の場所。
そしてストリートビューで見ると、ここだ。ちゃんと、説明板がありました。今川橋。
この界隈で評判になった、餡子が入った焼き饅頭が今川焼きと呼ばれ、同じものがこの界隈では回転まんと呼ばれ、そんな風景もいつしかすっかり変わってしまい、ドリフターズも3人になり、時はめぐり、思い出は彼方へ。
この、コロナで静かなひろめの風景が、「あんなこともあったねー」という思い出になる日が待ち遠しい。